無線従事者の資格は現在、23資格もあります!私も無線従事者の端くれ。選任されてお仕事もしてますが、いざ選任されてみると、今ひとつ実感が湧かないような気もしてます。
そんな無線従事者資格。知れば知るほど操作範囲や資格の存在意義に謎が多いものが多く、その一端を紐解くために歴史をちょっと調べてみました。
すると、意外な面が・・・見えてきた・・・かもしれない息抜きコンテンツです。
本ページは、あくまで歴史的な資料としてまとめたものですので、現行法規上、有効なものかどうかは必ず法令集を参照するようお願いいたします。最新の法令は政府の法令データ提供システムで閲覧が可能です。
まずは、現在の従事者資格の操作範囲関係図です。これは、(公財)日本無線協会の図を参考につくりました(完全パクリ)。
図1 無線従事者操作範囲の相互関係図(準公式)
この図を見ると……線がゴチャゴチャ入り組んでいてよく分かんない……というのはさておき、幾つかのおかしな点が見えてきます。
上記の図2は、図1を書き直して整理し、アマチュア無線分も入れ込んだ関係図です。 (ただし、一部は法的な厳密さを重視して書き直してあります。具体的には2海通の技術操作が4海通を完全にカバーしていないことを反映しています。 が、今どき半田ごて握って基板をいじる時代ではないので、実務上は2海通の下位互換と考えて差し支えないです。また、本図は直接に難易度を表現するものではありません。)
以降、なぜこのようになっているかを、歴史的な観点から紐解いていこうというのが趣旨です。
無線通信が本格的に始まったのは、20世紀初頭。ヘルツによる電磁波の存在証明がなされたのは1888年頃ですから、わずか10年ほどで無線通信として応用されはじめたことになります。
実際には、それ以前にも実験により電波らしき存在に気付いた者が多くいたようですが、大抵は電磁誘導現象だと片付けられる傾向にありまして、学術的に完全な証明を与えたのがヘルツでした。(それ以前には歯科医ルーミスの計画、ヒューズの実験等の事例がある。)
その後、O.ロッジ(英)、A.ポポフ(露)、そして"実業家"マルコーニ(伊)などの実用化を経て、移動体通信、特に船舶無線として用いられたことはよく知られています。
我らが日本も、諸事情あって急速に導入が始まり、松代松之助技師→木村俊吉技師の率いる開発陣による自主開発で、日露戦争(1904-5)における情報戦を制したのは有名な話です。明治で言うと37年~8年の頃ですね。
この頃は、業務局(プロ局)も実験・アマチュア局もさして区別は無く。初期のインターネットのようなフリーダムな世界観。
その後、軍事用・船舶安全通信用として急速に普及していきましたが、タイタニック号などの海難事故の発生が原因で、船舶には無線機を強制装備させることが国際的に義務付けられるようになります
映画や伝記で有名なタイタニック号遭難事故(1912年、犠牲者約1,500名)は、この制度を導入促進する大きなきっかけになりました。もし全ての船舶に無線が装備され、かつ24時間聴守ができていれば…もっと多くの人命が救えたに違いない…ということです。
そこで、1914年(大正3年)にロンドンで海上安全条約(タイタニック条約)が成立。ここに船舶無線通信士の要件として資格主義が採用されたのです。
一方、米国・イギリス・カナダ等の主要国が無線強制法を施行し、船舶への無線設備の設置が義務化されていきました。日本もそれに影響される形で無線関係法の整備が始まり、ついに日本でも無線電信法(1915年、大正4年)が成立。
特に無線電信法成立による大きな変更点は、無線局の「私設」を認めるという部分でした。民間でも無線局を開設できるという、今からでは想像しづらいけれども、有難い電波開放の制度な訳です。このときに私設…すなわち「民間」運営無線局に対してオペレータ資格を定めたのが、日本の無線従事者制度の始まりです。
明治時代、電気通信に関しての法律として電信法(明治33年)が定められましたが、無線通信はまだまだ黎明期で、電波に関する特別法はなかなかできませんでした。
明治時代における唯一の電波法規は逓信省令による電信法の準用規定です。
やがて音声通話が可能になると、その規定だけが追加されるといった具合でした。
要するに、無線という新テクノロジを有線の法律の型に当てはめて当座をしのいでいたわけです。まだ技術的にも電波はあくまで特殊な電気通信方式の一つという考えですね。
電波規制に関する最初の法律が「無線電信法」(大正4年法律第26号)です。ロンドンで締結された国際無線電信条約(1912)の影響でした。その第一条には
大きく変わったのは第2条であり、電信法に比べて私設局(民営無線局)が幅広く認められるようになりました。
そして、第3条に資格を規定する法文が現れます。
この命令というのが、「私設無線電信従事者検定規則」であり、本邦初の無線従事者ライセンス規定です。ただし、民間向け資格であることが現在と大きく違う部分になります。(大正4年10月26日 逓信省令第48号で制定。正式には旧字で私設無線電信從事者檢定規則。同年11月1日施行)
資格は1級~3級の3種類のみで、現在の23資格の面影は全くありません。しかし、そのうち2種類は現在まで継承されている最も息の長い資格です。その操作範囲はたびたび改正されますが、ここではまず最初の操作範囲を現代風に直して紹介しましょう。
資格種別 | 操作範囲 | 現在の継承資格 |
---|---|---|
第1級 | 無線電信法第2条により施設したる私設無線電信の通信に従事し得る者 | 第1級総合無線通信士 |
第2級 | 無線電信法第2条により施設したる私設無線電信(第3号により施設したるものを除く)の通信及び同条第3号により施設したる私設無線電信の通信の補助に従事し得る者 | 第2級総合無線通信士 |
第3級 | 無線電信法第2条第5号により施設した私設無線電信の通信及び同条各号により施設した無線電信の通信の補助に従事し得る者 | 該当なし |
現代と比べると、操作範囲が直接に書かれていないため、非常に分りにくいと思います。つまり周波数とか電力とか、技術的な制限が一切ありません。
これは無線電信法に無線局の種別が定義され、主として局の種別に応じて操作範囲が区分されていたからです。
番号 | 無線局の種別 | 解釈 |
---|---|---|
1号 | 航行の安全に備える目的をもって船舶に施設するもの | 船舶局 (安全通信用) |
2号 | 同一人の特定事業に用いる船舶相互間において、その事業の用に供する目的を以て船舶に施設するもの | 船舶局 (私報用) |
3号 | 電報送受のため電信官署との間に施設者の専用に供する目的をもって電信、電話、無線電信又は無線電話による公衆通信の連絡なき陸地又は船舶に施設するもの | 固定局・船舶局 (電報取扱局) |
4号 | 電信、電話、無線電信又は無線電話による公衆通信の連絡なく前号の規定によるを不適当とする陸地相互間又は陸地船舶間において同一人の特定事業に用うる目的をもって陸地又は船舶に施設するもの | その他の局 (私報用) |
5号 | 無線電信又は無線電話に関する実験に専用する目的をもって施設するもの | 実験局 |
6号 | 前各号の他主務大臣において特に施設の必要ありと認めたるもの | 例外規定 |
多少、現代的な解釈で誤りがあるかもしれませんが、以下の考え方でだいたい合ってるとは思います。
ここで3号規定は、今の制度しか知らないと分りにくいと思いますので、ちょっと解説します。
そもそも明治以来、日本においての「通信」は、郵便であれ、電報であれ政府が直接に経営する官営を基本していました。戦後ですら、政府官営(逓信省→電気通信省)で実施され、昭和27年(1952)からも電信電話公社(現NTT)による準官営が続きました。これが純粋に民間開放されて、民営通信事業が許可されたのは、ほんの?少し前、昭和60年(1985)に電気通信事業法が施行されてからのことです。
そんな時代のことですから、無線を通じて一般公衆の電報をやりとりするのも政府事業として官設局でなければなりません。
例えば、旅客船の乗客が国内の誰かに電報を打つ際には、船舶内に設置された無線局に依頼し、通信士が官設局と交信します。やがて有線電信を通じて、どこかの郵便局から宛先に配達されます。この船舶局が3号局に該当するわけです。
当初の資格制度では、この公衆電報を取り扱える者として一級の資格を与えたことになります。
なお、この私設無線局制度ができるまでは、船舶局全てが「官設局」で、政府の職員が乗り組んでいたということを付け加えておきます。(船主の寄付で官設局を開局するということが行われていたようです。法律施行後は特別法で、寄付局を私設局に無償払い下げしてます。)
なお、1、2級は国際資格で、国際無線電信条約(1912)の資格証明書に該当しています。
資格種別 | 国際証明書(ロンドン国際無線電信条約附属業務規則) |
---|---|
第1級 | 甲種証明書 |
第2級 | 乙種証明書 |
大正9年11月26日 逓信省令120号 で第2級の操作範囲が拡大されてます。
資格種別 | 操作範囲(現代訳) |
---|---|
第2級(改正前) | 無線電信法第2条により施設したる私設無線電信(第3号により施設したるものを除く)の通信及び同条第3号により施設したる私設無線電信の通信の補助に従事し得る者 |
第2級(改正後) | 無線電信法第2条第1号、第2号、第4号、ないし第6号により施設したる私設無線電信の通信及び同条第3号により施設したる私設無線電信の和文通信並びに同条第3号により施設したる私設無線電信の通信の補助に従事し得る者 |
要するに、国内電報(和文通信)なら2級でも操作可能になったという意味です。この規定、今の2総通資格に形を変えて引き継がれてますね。
無線局もそのうちに数が増え、当初は大型旅客船が中心だったものの、次第に漁船への無線機搭載が増えてきました。しかし、漁船の無線操作だと3級では無理で、2級通信士の資格が必要でした。
この漁船というのが過酷な職場だったらしく2級通信士の確保が難しいので、「漁業関係者」向けに新資格が創設されることになりました。
電波監理委員会編 日本無線史 第4巻(p.602)からの引用
大正十年静岡県清水町静岡県水産試験場に漁業指導用無線電信が施設せられ、漁船に無線電信施設が漸次普及せんとし、農林省に於ても之が施設を奨励するところがあったが、漁船無線電信の主任通信士が第二級たるを要すと云うのでは小漁船の乗組に堪え得る資格者は容易に得難く、稀にこれあるも多くは永続しない状態であったので、実際問題として漁村出身者のために第二級と第三級の中間に新に資格を設け、この新資格者は、漁船無線電信の主任たり得る新資格創設の要望が関係方面に嵩まってきたので、大正十三年逓信省令第二十九号を以って、新に漁船級を創設することとした。
漁業無線はその通信の性質からして、いちいち公衆電報網を介して意思疎通をするには不適当だと判断され、事業専用無線として私設が認められた最初の例です。
資格種別 | 操作範囲) | 継承資格 |
---|---|---|
漁船級 | 無線電信法第2条第1号、第2号、第4号により総トン数500トン未満の漁船に施設したる私設無線電信の通信、同条第3号により同漁船に施設したる私設無線電信の和文通信及び同条第5号により施設したる私設無線電信の通信並びに同条各号により私設無線電信の通信の補助に従事し得る者 | 第三級総合無線通信士 |
この漁船級、現在の3総通にそのまま継承されています。
普通に考えると、2総通の下位資格という見方のはずですが、もろに、第1項の最初から「漁船」と入っていて、操作範囲に妙な制限がかかっているところからすると、魂が引き継がれているとみてよいでしょう。
資格種別 | 操作範囲(略) |
---|---|
第三級総合無線通信士 | 一 漁船(専ら水産動植物の採捕に従事する漁船以外の漁船で国際航海に従事する総トン数三百トン以上のものを除く。以下この表において同じ。)に施設する空中線電力二百五十ワット以下の無線設備(無線電話及びレーダーを除く。)の操作(国際電気通信業務の通信のための通信操作及び多重無線設備の技術操作を除く。)(以下、略) |
上記の操作範囲は、だいぶ省略しているため分りやすいですが、実際の3総通の操作範囲は覚えるのがとても大変な資格です。主な範囲を見ると
となっており、漁船に特化した資格であることは間違いありませんね。
昭和4年(1929)の無線電信法の改正で、名称が無線通信士になります。この改正も国際条約が要因で、ワシントンでの国際無線電信条約(1927)がきっかけでした。規則名も「無線通信士資格検定規則」に変更です。
無線電信法(昭和4年 法律第45号 改正時)
第三條 私設ノ無線電信又ハ無線電話ノ機器、其ノ装置及運用ニ關スル制限並私設ノ無線電信又は無線電話ノ通信ニ從事スル者ノ資格及定員配置ハ命令ノ定ムル所ニ依る
赤字が改正で付加された部分で、無線電話の資格が定められたわけですね。この「通信士」という名称は、海技免状の「運転士(航海士)」や「機関士」という名称に倣ったようです。(ただし、船舶職員として船舶通信士が定義されるのは昭和19年(1944)からです。)
昭和6年4月1日 逓信省令第8号 無線通信士資格検定規則 による、操作範囲は以下の通りです。
資格種別 | 操作範囲(現代訳) | 現在の継承資格 |
---|---|---|
第1級 | 私設無線電信の通信及び私設無線電話(放送用私設無線電話規則によるものを除く、以下同じ)の通信に従事し得る者 | 第1級総合無線通信士 |
第2級 | 無線電信法第2条第1号、第2号、第4号、ないし第6号により施設したる私設無線電信の通信、同条第3号により施設したる私設無線電信の欧文通信の補助及び和文通信並びに私設無線電話の通信に従事し得る者 | 第2級総合無線通信士 |
第3級 (旧漁船級) |
無線電信法第2条第1号、第2号、第4号により総トン数500トン未満の漁船に施設したる私設無線電信の通信、 同条第3号により同漁船に施設したる私設無線電信の和文通信、同条第5号により施設したる私設無線電信の通信、同条第6号により受信に専用する目的をもって施設したる私設無線電信の通信及び同条各号により施設したる私設無線電信の通信の補助並びに送信機入力300「ワット」以下の私設無線電話の通信に従事し得る者 | 第3級総合無線通信士 |
電話級 | 送信機入力300「ワット」以下の私設無線電話の通信に従事し得る者 | 第4級海上無線通信士 |
聴守員級 (旧3級) |
無線電信法第2条第6号により受信に専用する目的をもって施設したる私設無線電信の通信及び船舶に施設したる私設無線電信における聴守に従事し得る者 | 該当なし |
上記資格種別欄のとおり、漁船級→新3級、旧3級→聴守員級へと引き継がれました。もっとも、現在のようにみなし規定が親切なわけではなく、旧資格取得者は施行後6ヶ月以内に書き換え申請が必要です。
この聴守員級無線通信士。聴「取」員では無いのでご注意。(旧字では聽守員級。)
聞きなれない名称と思います。無線従事者の一員だけど送信操作をしてはいけません。あくまで、遭難通信の監視役(ワッチ)です。簡単にいえば、正規通信士が非番の時にSOSを聴きつけたら、通信士を叩き起こす役目。
なお、戦前は受信専用設備にも免許や資格が必要だったことを考慮すると、受信用資格があったところで、さほど変には思えません。(ただのラジオ放送用受信機でさえ、無線局施設としての申請が必要でした。)
それと旧3級は、実験局なら運用できたんですが・・・聴守員級とみなされたため、全く送信操作ができなくなりました。
現在の3総通がこのときの3級を引き継いでいるのが、謎の解答の一つですね。
また、電話級無線通信士もできちゃいました。無線電話もこの頃にはようやく一般的になったという感じですね。4海通直系のルーツです。
現在の4海通が、海上無線通信士の中でも特異な存在になっている理由がここにあります。謎がもう一つ解けました。
その他特筆すべきこととして、操作範囲に送信出力規定が初めて記載されるようになったことが挙げられるでしょう。現代では正味のアンテナのパワーで表記されますが、この当時の規定では「送信機入力」、すなわち送信機の電源パワーで表現されているのが特徴的です。この当時は高周波パワーを測定するのが大変な時代ですから、納得の規定です。
資格種別 | 国際無線電信条約 附属規則 |
海上に於ける 人命の安全に関する国際条約 |
---|---|---|
第1級 | 無線電信通信従事者 第1級証明書 無線電話通信従事者証明書 |
- |
第2級 | 無線電信通信従事者 第2級証明書 無線電話通信従事者証明書 |
- |
第3級 | 無線電信通信従事者 特別証明書 無線電話通信従事者証明書 |
聴守員証明書 |
電話級 | 無線電話通信従事者証明書 | - |
聴守員級 | - | 聴守員証明書 |
見ての通り、聴守員級だけ根拠となる条約がSOLAS(Safety Of Life At Sea;海上における人命の安全に関する国際条約)に拠っているという点で大きな違いがあります。
これ以降、資格種別、操作範囲、試験方法、受験資格等に何度か細かい改正が入っています。主要なものを挙げると以下のとおりです。
昭和9年(1934)のものはマドリード条約改正(1932)の影響。昭和13年(1938)省令77号も、後述するカイロ条約の影響により、無線電話通信士一般証明書に該当させるため、電話級と3級のパワーを上げたものです。
昭和13年(1938)に誕生した航空級。今回もやっぱり国際条約絡みで、無線通信規則(1938 カイロ会議)発効によるものです。
資格種別 | 操作範囲(現代訳) | 現在の継承資格 |
---|---|---|
航空級 | 旅客運送の用に供せられざる航空機に施設したる私設無線電信の通信及び同航空機に施設したる私設無線電話の通信に従事し得る者 | 該当なし |
航空輸送の発達と普及が直接の成因ですが、この時点で定められたのは、あくまで旅客機以外の航空通信資格です。つまり、航空郵便が主な対象です。試験内容は第三級通信士と同等でした。
現在、名称が似てる資格はありますが、現在の資格との継承は一切ありません。この資格は後述する理由により、太平洋戦争後に廃止されました。
操作範囲も現在のものとまるで違います。現ITU-Rの条約下でも相当する資格はあるのですが…日本においては該当の証明書(航空無線電話通信士制限証明書)は発給していないのが現状です。
現航空無線通信士は、旅客機を含む航空運送全てを扱う国際条約に基づく資格。航空特殊無線技士は、業務用以外の自家用航空機のための国内専用資格です。 強いて言えば、この中間に位置する資格といえます。
資格種別 | 国際証明書 (カイロ国際電気通信条約附属一般無線通信規則) |
---|---|
航空級 | 航空業務に対する制限証明書 |
戦時色が強まる頃、もう一つの無線従事者のルーツが生まれます。その名も「電気通信技術者」
従来の通信士とは異なり、はじめて保守・建設用の無線従事者資格ができたことが特異な点です。現在の無線従事者のルーツとなりましたが、創設された当時はその名の通り有線通信も包括したものでした。
昭和15年3月30日 逓信省令第13号にて電気通信技術者資格検定規則(旧字:電氣通信技術者資格檢定規則)によって定められたもので、電波法が施行する少し前に廃止されましたが、資格の一部は「無線技術士」として復活を遂げることになります。
この資格、現行の「電気通信主任技術者」とおもいっきり名前かぶってますね。実のところ、制度的にもほとんど現行のものと意義は変わらず、まさに血のつながらない祖先ともいえる資格だったりします
理由は、後ほど紹介する民間企業を対象としたこと、主任技術者のためであること、有線を含んでいることの三点です。
陸上無線技術士の有資格者に対して2科目も試験免除が認められているのは、ひょっとして、こういったルーツがあったからなのかも。
制定当初、電気通信技術者資格は4種類に分かれていました。
検定規則上では、無線通信士とは異なり、資格種別に応じた操作範囲は規定されず、各種の関連命令で有資格者の配置が必要な設備を定めていました。これらが、条約に拠らない純国内向け資格である、陸上系の無線従事者のルーツになります。
資格制定のきっかけは、官営電気通信事業の一部民営化がきっかけです。昭和14年(1939)、日本-満州間のケーブル敷設が完了すると、当時、国際無線通信事業者であった「国際電気通信株式会社」に有線事業を移管することになりました。
この会社は、日本無線電信(株)と国際電話(株)が政府指示のもと、昭和13年に合併してできた民間会社ではあるのですが、国際電気通信株式会社法という法律があったぐらい、公社的な性質を帯びていた特殊な国策企業です。
ただし、官営の電気通信事業を直接運営している訳ではなく、あくまで設備の建設や保守を担う会社としての位置づけ。言わば政府専用の無線回線設備提供会社といったものです。
対外通信は設備民営・・・
通信は政府独占という法律のお題目がありながら、大半を民営会社に委託しているのはおかしな話ではあるのですが、財政問題からやむなく民間資本を導入したという経緯がありました。
2社のうち、日本無線電信(株)は、第一次世界大戦や関東大震災などの影響で国家財政に余裕が尽きたために、対外通信用無線局の増設ができず官営を断念。大正14年に特別法を制定して作った会社です。政府が磐城無線局などを現物出資。
もう一方の国際電話(株)は、政府が国際無線電話公衆網への参加方法を悩んでいる最中に民間設営の要望があり、それを認可したものです。特殊会社ではありません。
戦後、昭和22年(1947)に突然に財閥解体の煽りを食って解体され、事業の大半は逓信省に引き継がれて国営に戻ります。電気通信事業の大部分は、逓信省(S22)→電気通信省(S24)→日本電信電話公社(S27)→国際電信電話(株)(S28)→KDDI(株)(H12)となりました。
この国際電信電話(株)、後のKDDは会社法による国際電信電話株式会社法による特殊会社であり、法律の廃止によって特殊会社から抜け出したのは平成10年(1998)になってからのことです。)
その他、工場部門(狛江工場)は電元工業(株)(現:新電元工業(株))に一旦売却され、国際電気(株)として独立→現:(株)日立国際電気に。
送信施設の中で何故か接収を免れた依佐美長波送信所のために、清算会社から第二会社として設立された謎会社が現:電気興業(株)です。
なお、国際電気通信株式会社本体は清算会社として名前だけ存続し、電気興業社長が代表取締役を兼任したまま、昭和51年度に清算結了となりました。(会計検査院検査報告 昭和51年度 第1章 第1節 第6 政府関係機関その他の団体 1概況より)
さて、有線事業移管に伴う法改正は昭和14年4月12日法律第83号(国際電気通信株式会社法改正)として成立し、これに伴って有線と無線の資格が制定されたわけです。
昭和14年4月12日 法律第83号 (抜粋)
第十二條ノ三 國際電氣通信株式會社ハ命令ノ定ムル技術者ヲ選任シ技術ニ關スル事項ヲ擔任セシムヘシ
検定規則の公布と同時に、国際電気通信(株)の主任技術者に対して、設備の種別に応じた資格要件を逓信省令で定めています。
昭和15年3月30日 逓信省令12号(抜粋)
(中略)
一 線路 (略)
二 中繼所内装置 (略)
三 長距離囘線ノ保守統括 第一級
四 無線送信装置
(一)空中線電力五百ワツト以上ノ装置ノ建設 第一級
(二)空中線電力五百ワツト未滿ノ装置ノ建設 第二級
(三)空中線電力三キロワツト以上ノ装置ノ保守 第一級
(四)空中線電力五百ワツト以上三キロワツト未滿ノ装置ノ保守 第二級
(五)空中線電力五百ワツト未滿ノ装置ノ保守 第三級(無線)
五 無線受信装置
(一)國際通信用装置ノ建設 第一級
(二)國内通信用装置ノ建設 第二級
(三)國際通信用装置ノ保守 第二級
(四)國内通信用装置ノ保守 第三級(無線)
(五)國際通信用装置ノ調整 第二級
(六)國内通信用装置ノ調整 第三級(無線)
六 空中線装置
(一)空中線装置ノ建設 第二級
(二)空中線装置ノ保守 第三級(無線)(さらに詳細な選任範囲は陸上無線技術士の操作範囲の歴史を参照)
規則内に線路とか中継所とかあるのを見ると、まさに現行の電気通信主任技術者の職務と同じ位置づけであることが見て取れますね。電気通信主任技術者資格は、電気通信事業の民間開放のためにできた資格でしたが、考え方、名称ともに魂を引き継いだと思えます。名称を重複させないために、主任という2文字を入れたのではないかとさえ考えてしまいますね。
ただし、現代と大きく異なる点が一つ。それはこの時代に国際電気通信(株)以外の該当企業が存在しないこと。まさにターゲットを絞った専門資格として誕生したのです。
その後、民間運営局というカテゴリでこの資格を要求する範囲が拡大していきました。私の調べる限り、少なくとも、放送局とアマチュア・実験局には資格者の配置を義務付けたことが分っています。
放送用私設無線電話規則の改正詳細は、陸上無線技術士の操作範囲の歴史へ記載してあります。
昭和16年末(1941)からの太平洋戦争開戦に伴い、無線通信士需要は逼迫し、戦死あるいは殉職者の数も増えていきました。
陸軍・海軍・逓信の間で、通信士の争奪戦という「内戦」も行われる有様でした。なんと、いきなり尉官任命とか待遇も凄いです。
そんな中、いくつか命令が出ていますので、内容を紹介します。
昭和18年6月7日逓信省令76号にて、通信士受験年齢制限の撤廃。指定無線通信士制度導入、試験科目の追加、実務経験として認める業務範囲の拡大が公布される。
どうやら、無線従事者試験の年齢制限が無いのは、このあたりからのことのようです。いよいよ人が足らなくなると、こういった事が起きるようですね。
昭和20年(1945)。戦争も末期となり、人員・物資ともに欠乏したため、無線通信士、電気通信技術者ともに戦時特例が出されています。検定合格証書を出さなくなり、必要に応じて証明書を発給する形式にしたり、手続きを簡略化したりしています。
昭和20年に迎えた敗戦。GHQによる占領が始まり。電波関連法は大きな転換点を迎えます。
昭和21年3月18日 閣令16号で、電気通信技術者検定規則が改正されました。戦時特例が廃止されると共に、謎資格、それこそ超謎資格が生まれました。その名も放送受信級。
現代から見ると何をする資格なのか、さっぱり想像できません。昭和21年から24年までに7,312名もの資格取得者が出ています。私が調査した結果、放送用私設無線電話規則において使い道が一つ判明しました。
昭和21年3月18日 閣令18号の内容抜粋
放送用私設無線電話規則の別表中で、
無線中継用受信装置の保守に必要な資格を第三級(無線)→放送受信級に改める
では、戦後すぐに何のために制定されたのかでしょうか?
幾つかの文献を調査すると、以下のような経緯のようです。昭和11年頃(1936)からNHKは内部資格として「指定ラジオ相談所主任技術者検定」を制定しました。この(協会)指定ラジオ相談所というのは、当時唯一の放送局であったNHKがお墨付きを与えたラジオ商のことです。
当時のラジオ屋は、セットの販売だけではなく、修理等のアフターサービスを行うのが普通で、この修理技能には大きくばらつきがあったようです。そこで、NHKはラジオ商の技術的な公認を行い、日本放送協会指定ラジオ相談所として聴取者の便宜を図りました。この制度自体は業界にとって相当な影響力をもっていた模様。
この指定相談所は、戦時下においても、戦時放送網の維持の観点から相当な保護が受けられていて、企業整理から除外されるのみならず、相談所の主任技術者は各種徴用から免除されるという特権すら付いたものでした。要するに戦地や工場に行かなくてもよいという物凄い権利が与えられていたのです。(ただし戦中後半から)
このNHK内部資格が国家資格へグレードアップしたのが電気通信技術者・放送受信級ということになります。そのため、2年間の実務経験があるラジオ修理技術者(NHK指定ラジオ相談所に限る)は、無試験取得ができる制度になっています。
昭和21年3月18日 閣令18号の附則
本令施行ノ際現ニ二年以上放送無線聽取装置ノ修理ヲ業トシ且相當ノ知識技能ヲ有スル者ハ遞信院總裁ノ指定シタル者ノ推薦アリタル場合本令施行ノ日ヨリ一年ヲ限リ放送受信級ノ銓衡検定ヲ受クルコトヲ得(意訳)本令施行の際、現に2年以上ラジオ修理業を営み、相当の知識技能を有する者は、逓信院総裁の指定した者(=NHK)の推薦がある場合、1年間は放送受信級の実務経験認定(選考試験)による資格取得ができる。(=書類審査のみで事実上の無試験)
法的には、本資格を使用する場面は限られるのは明白で、実質的にはラジオ修理技術者を国家認定する目的の資格であったのは間違いありません。当時の解説を紹介します。
無線と実験 259号 昭和21年7月号 p.15より抜粋
(中略)・・・一般ラジオ修理業者はこの資格がなければやれないといふことはない。然しこの資格を持つて居れば國家的に技術の裏附があると考へられ、一般から信用されることになる。
電気通信技術者資格検定試験問題解答集 松本喜十郎著 pp.103-104より抜粋
- 放送受信級
- 放送無線電話(ラジオ)受信機の組立、修理、試驗等に關する技術に従事する者。ラジオ屋として放送協會の認定を受けるにもこの程度の技術者であることが必要であり、又一般世人から信用を得るためにも好適な資格である
ただ、なぜ戦後半年というこのタイミングで出て来たのかは、まだ未解明の部分です。戦後の占領政策(GHQの有難いご指導)を考慮すると、迅速すぎるようなので、戦時中から原案が練られていた可能性も高いとみています。
電気通信技術者試験の第1級から3級は、昭和21年度を最後に試験は中断されたままとなり、放送受信級のみが昭和23年度まで実施されました。たった3年間ほどの幻の無線資格であったわけです。しかも昭和24年には資格そのものが廃止となり、指定ラジオ店制度も、放送法の施行目前であった昭和25年3月末をもって廃止されたのでした。
しかしながら、本資格に代わりラジオ受信機修理技術者検定が通産省によって制定されて引継ぎが認められました。(昭和26年4月 通産告示117号)。以後は、テレビジョン修理技術者試験、カラーテレビジョン修理技術者試験、家庭用電子・電気機器修理技術者試験、家電製品エンジニア試験と名前を変えながら現代まで至っています。詳細はこちら(家電修理資格の歴史)
戦後処理の一環として通信士の軍用通信の実務経験規定が削除(昭和21年4月1日閣令22号)。また、戦時特例が廃止されるとともに、航空級の検定が中止されました。(昭和22年9月5日総理庁令・逓信省令3号)。ついでに、大インフレのせいで検定料も大幅値上げされてます。
昭和24年2月8日の逓信省令6号で、航空級の廃止。学校卒業者に対する無試験付与制度が廃止されました。
航空級の廃止は、GHQによる航空機保有の禁止とアトランティックシティ会議(1947)で航空通信士等級が廃止された影響です。航空級の取得者は電話級通信士とみなされることになりました。学校卒業者に対する制度廃止はGHQの意向です。
まだ占領軍が居るので航空関係はご法度。これはまぁしょうがないですね。27年の主権回復(サンフランシスコ講和条約)と同時に復活してるのが分りやすい。
3年間もかけ、委員会検討やGHQへのお伺いを繰り返して第9次案までに至った電波法は、昭和25年にやっと成立しました。(意外に難産だったのです。)
ここで、今の従事者資格のひな形が出来上がったことになります。従来は、法律に直接資格名が記載されることはなく、単に定めるとしかなかったのですが、ここで初めて、法律本文に資格名が規定されるようになりました。
従来、終身免許だった無線通信士資格が5年間に制限されました。
実務経験による無試験取得(銓衡検定)制度はGHQの指令により削除されてしまい、全員が国家試験を受験しけなければならないことに…。これらは、弊害が多かったようで、各団体からの要望などにより緩和され、昭和33年から、ほぼ戦前の制度に戻ります。
もう一つの大きな変更点は、無線設備に触れる人間は全員「資格」を要することになった点です。
戦前における基本的な考え方は、直に無線通信操作を行う者に対して通信士資格を要求するというものでした。これは国際条約の関係から必要とされたので、現代であってもこの点に変更はありません。
しかしながら、日本には独特の制度として技術者に対する資格要求という考え方がありました。放送局あるいは指定された無線設備の建設や保守に関し、主任技術者として選任された責任者に資格を要求するという制度です。
このような戦前の考え方を改め、無線設備の操作をする者は全員資格を要求されるようになったわけです。人材確保の面からすれば非常に過酷な要求のような気も・・・
もっとも電波法施行以降は建設工事まで資格を要求されることは無くなりました。受信設備についても完全に自由とされたので、単なる受信操作に対する許可や資格は不要となったわけです。(例外として、SOSワッチ用の資格である聴守員級通信士が昭和27年まで存在した。)
ここで、全員という表現を使いましたが、これは政府機関の職員に対しても資格を要求することになったという意味です。戦前・戦中は国家機関であれば資格は必ずしも要らなかった・・・という点から見ても大きな制度変更があったことになります。なにしろ、無線電信法で定められたものの多くが「私設」無線局に関するものであったのですから。
現在の電気通信主任技術者制度や、主任無線従事者制度を見ると戦前の制度が一部復活しているように思えます。
その他には、操作の範囲が通信操作と技術操作という2つのカテゴリに分類されたことが挙げられるでしょうか。
やや不明な点も多いのですが、昭和24年6月1日(電気通信省発足日)で廃止されたはずの資格が、無線技術士資格として復活しています。
元々、電気通信省の発足前に電波法が国会通過する見込みだったようで、1年間資格が存在しなかったのは、種々の事情によるものと推測されます。
続日本無線史によれば、既に原案(昭和23年3月頃の無線従事者検定規則案)の時点から、無線技術士として1級~3級と放送受信級の4資格が挙げられていたとあります。
最終的には、下記のように2階級の無線技術士としてまとめられました。
無線電信法 | 電波法 |
---|---|
電気通信技術者 1級 | 第1級無線技術士 |
電気通信技術者 2級 | 第1級無線技術士 |
電気通信技術者 3級(無線) | 第2級無線技術士 |
電気通信技術者 3級(有線) | - |
電気通信技術者 放送受信級 | - |
電波法(昭和25年5月2日 法律131号)附則(抜粋)
6 旧電気通信技術者資格検定規則(昭和十五年逓信省令第十三号)廃止の際(昭和二十四年六月一日)、現に同規則の規定によつて第一級若しくは第二級の電気通信技術者の資格又は第三級(無線)の電気通信技術者の資格を有していた者は、この法律施行の日に、それぞれこの法律の規定による第一級無線技術士又は第二級無線技術士の免許を受けたものとみなす。
先に紹介したとおり、1、2級は有線通信も含んだ資格だったのですが、ここで、無線専門資格とて再出発することになったのです。
「特殊無線技士」制度ができたのは電波法施行のときからです。現代と負けず劣らず沢山の資格が作られています。
法律上では「特殊無線技士」と1種類しか定められず、操作範囲のみが電波法施行規則で規定されました。ですから、免許証には「特殊無線技士(●●●)」のように表記されていました。平成に入ってからは、法改正により「第●級△△特殊無線技士」となっています。
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
特殊無線技士甲 | 空中線電力30ワツト以下の無線電話局、(海岸局を除く。)の無線設備の操作 |
特殊無線技士乙 | 一 左に掲げるそれぞれの無線設備のみの操作 (1)レーダー (2)三〇、〇〇〇kc以上の周波数を使用する移動局の無線電話 (3)簡易無線業務の局の無線電話 (4)有無線連絡装置(電信の場合を含む。) (5)その他電波監理委員会が特に指定する無線設備 二 陸上に開設した無線局(海岸局及び航空局を除く。)の左に掲げるそれぞれの無線設備のみの通信操作 (1)国際通信のための無線電信 (2)国内通信のための無線電信 |
これは半年後にすぐに改正され消えます。なぜかというと、公布当初の電波法には、第83条で「聴聞」という制度が盛り込まれており、幾つかの規則の制定にあたっては、利害関係者を集めた聴聞会を開催した上で規則を制定するよう定められてたからです。特殊無線技士の従事範囲規定は、この聴聞が必要な事項だったのです。GHQによる占領下でもあり、米国のFCC制度にならった、民主的な制度を目指したことが垣間見えます。
しかしながら、関係諸規則の準備期間を考えると、電波法の公布日が5月2日、施行が6月1日で、聴聞会を開催する余裕が無いことは明らかです。そこで、しばらくは法律の附則で認められた暫定規則で間に合わせていました。
よって、この規則(電波監理委員会規則第3号)は、あくまで暫定規則として制定されたもので、正式な規則の制定は11月になるのを待たなければなりません。
暫定規則による試験が行われたかどうかは今のところ不明です。(実施された可能性が高い。)まだ手探り時代だったためか、その後は短期間で次々と特殊無線技士資格の改廃が相次ぎました。やっと落ち着くのは昭和33年以降のことです。
改廃の一覧表は、最後の資料編に掲載してあります。また操作範囲は別ページにまとめてあります
この時代の正規通信は短波の電信を中心として構築され、FM電話装置などもそれに包括される考え方でしたが、小規模で簡易な無線装置でも「通信士」を必要とする制度では問題が多いため、「特殊」な無線領域に限っては、新設の無線技士という制度でカバーしていこうという発想です。
この時代の無線は、短波の「無線電信」と「AM無線電話」の2種類が主力であって、それ以外の無線設備は特殊な扱いです。それと同時に「簡易」な無線設備や通信操作もこのカテゴリで扱われていくようになったのでした。
資格創設期では、おおむね以下の3種類に資格が分類できると思われ、これに当てはまらない現行資格は1海特ぐらいのものでしょう。
昭和25年2月15日 衆議院 電気通信委員会第6号での政府答弁
○網島政府委員
最近超短波及び極超短波の技術が非常に発達して参りまして、この方面の利用分野が非常に開けて参りました。一例を申し上げますならば、アメリカにおきましてはすでにこの無線電話を持つておる。
最近日本におきましても、各方面にこういうごく小さな機械を自動車その他の自働体に積みまして、動きながら自働体の中から電波を使つて、電話なり電信をするということが盛んになつて参つたのでありますが、そういう場合に一々これに対して、一級あるいは二級の無線通信士の資格を要求するということは、非常に酷であります。
またこれらは超短波ある極超短波を使いますから、電波がそう遠距離に飛びません。従つて国際混信を起すということもないのであります。
他方最近のこういう設備は、周波数変調とか、あるいは位相変調とか、あるいはインパルス・モジユレーシヨンとか、特殊な方法を使つておりまして、従来のものよりも多少技術的にむずかしくなつております。
従いましてそれらの両方の初歩的な技能を持つた者をもつて、そういうものの扱いをさした方がいいという結論から、今回新たに特殊無線技士という制度を設けたのでありまして、これらはできるだけ簡易な知識、技能によつて無線設備の取扱いをできるようにして、無線の普及発達に資したいという見地でございます。
発想の根本は、無線は全て特別な監理が必要なものとみなし、資格制度で制限をする点にあり、現代に至るまでこの思想が微妙に残っています。新しい無線システムができる → 今までの資格だと難しいから簡単にしたい→新資格をつくるという、便利な反面、多少問題のある流れがありました。
本来なら、新しい無線システムができる → なるべく開放するだと思うんですけども・・・。政府の対応は、資格を簡単に取得できるシステムの構築に力を入れることが多いです。例えば、試験科目を簡略化したり、養成課程時間の短縮などが行われています。
22年現在、資格が23もある原因の一つがこれですね。
また、特殊無線技士が政令で定める資格に移行した影響が大きいかもしれません。電波法に直接規定する資格を改廃するのは、国会審議が必要ですが、政令ではそれが不要だからです。政府の意向次第で好きに決められるというのは、利点も大きいですが、資格の廃止については有資格者の既得権をなくす行為なので、あえてそれをするには相当の理由が要ります。結果、事実上不要となるゾンビ資格が増えるという構図が生まれたように思います。。
25年にはアマチュア資格も2つできました。それまでのアマ局は、私設実験局(素人局)の扱いで、特段の資格が不要だった様子。(昭和15年以降は電気通信技術者または3級通信士の資格要。ただし、昭和16年の対米開戦に伴い、直後からアマチュア運用は全面禁止)
この当時、国際条約上、アマチュア資格は無線電信の技能が義務付けられていたはずなのに、2級という、ちょっと強引な資格が創設されました。ノーコードライセンス(モールス試験の無い資格)の走りです。(ITU-Rの無線通信規則で技能要求が削除されたのは2005年から)
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
第一級アマチユア無線技士 | アマチユア無線局(個人的な興味によつて無線通信を行うために開設する無線局をいう。以下同じ。)の無線設備の通信操作及び技術操作 |
第二級アマチユア無線技士 | 空中線電力百ワツト以下で五十メガサイクル以上又は八メガサイクル以下の周波数を使用するアマチユア無線局の無線電話の通信操作及び技術操作 |
当時の2級は現在の4級に相当する資格ですが、操作範囲はいまと随分違います。主な原因は旧2アマが現2アマと現4アマに分離したためです。その際に移行試験に合格した者は現2アマを取得できる制度でした。
旧2アマは、電話のみの「国内通信用」アマチュア資格を狙っていることに気付きます。周波数の範囲をVHF(50MHz以上)と、近距離向きHF帯ローバンドの8MHz以下のみに限定し、国外に飛ばないように配慮していることが見て取れるんです。実際にはそんなことないでしょ…というツッコミはあるものの、妙な努力の賜物でしょう。
このモールス試験のないアマ資格の創設のおかげで、無線・電子技術の発達・普及に寄与したとも言われています。後の法改正で電話級アマとなりパワーが制限されました。新2アマに外国通信に適した周波数の許可が出たのは昭和36年のことです。
先に紹介したとおり、このとき航空級が復活しました。が、戦前の航空級とは一切のつながりがありません。全くの新設扱いです。
と、同時に「聴守員級」も廃止されてます。遭難信号の聴守は機械がするようになり、もう不要とばかりに削除されてます。この頃には既に、資格が有名無実化していた模様。
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
航空級 | 航空移動通信(国際通信たる公衆通信を除く。以下同じ。)のための無線電話の通信操作
空中線電力百ワツト以下の航空移動通信のための無線電話の技術操作 航空機の航行のための無線航行局の無線設備であつて、三万キロサイクルをこえる周波数を使用するものの技術操作 |
昭和33年の大改正では、再び「終身免許制」が導入されました。それまでは、電波法により5年期限とされていました。
終身免許制・・・この制度は取得者には大変ありがたいものであるものの、実際の生きている人の取得者数が不明確になるという制度でもあるということにお気づきでしょうか。
一応、電波法上には死亡/失踪時の返納規定があるのですが、規定が機能しているかチェックする術は無いはずです。仮に取得者数が10万人いたとして、存命している方、特に現役でバリバリ働ける人の数は、いまいちよく分らないという統計的には致命的な欠点があります。
無線従事者規則(平成21年版)
(免許証の返納)
第五十一条
(中略)
2 無線従事者が死亡し、又は失そうの宣告を受けたときは、戸籍法による死亡又は失そう宣告の届出義務者は、遅滞なく、その免許証を総務大臣又は総合通信局長に返納しなければならない。
一体、どれだけの数が返納されているのかは・・・不明です。
このとき、法律で直接規定される資格で増えたのはアマ資格のみです。日本アマチュア無線連盟からの要望で、法改正時にうまく潜り込ませたようです。
政令で定められる特殊無線技士はだいぶ整理され、数が減りました。
今と違う部分で興味深いのは電信級アマチュアです。
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
電信級アマチュア無線技士 | アマチュア無線局の空中線電力十ワツト以下の無線電信で五十メガサイクル以上又は八千キロサイクル以下の周波数の電波を使用するものの操作 |
よく読んでみると、電信級アマと電話級アマは、上下関係が一切ありません。出力も周波数範囲も同じで、ただ、電話用と電信用に分かれているだけです。
つまり、電信級アマを持っていただけでは、電話の運用ができなかった訳です。これが許可されたのは、昭和57年7月13日の改正(政令195号)からのことです。旧2アマは、移行措置の試験があり、新2アマに移行可能でした。
これまで法律で直接操作範囲を規定していたのが、改正を機に政令で定められるようになっています(無線従事者操作範囲令)。特殊無線技士の分も施行規則から政令に格上げされ、全無線従事者資格の内容については一つの命令にまとめられるようになりました。
この政令は現在まで受け継がれています。が、不思議と名前がコロコロ変わっていまして無線従事者操作範囲令→無線従事者の操作の範囲を定める政令→電波法施行令と変遷があります。
しかし旧政令が完全に廃止されたかといえばそうではなく、まだ旧資格の有効範囲が残されてます。つまり、廃止時で新資格に移行したかといえば、厳密にはそうではなく。昔のままの操作範囲が認められています。
昭和33年(1958)から平成元年(1988)までは、特殊無線技士だけが増えていった時代です。このときの資格は5種類でしたが、最終的に8種類の資格になりました。
詳細は特殊無線技士の操作範囲の歴史へGO
昭和46年(1971)の政令改正で、特殊無線技士が1種類増えました。現在の航空特殊無線技士の前身である「無線電話丙」の新設です。これが最後に追加された航空関係資格となっています。
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
特殊無線技士 (無線電話丙) |
一 航空機局(航空運送事業の用に供する航空機のものを除く。)及び航空局(航空交通管制の用に供するものを除く。)の空中線電力五十ワツト以下の無線電話で二万五千十キロサイクル以上の周波数の電波を使用するものの国内通信のための通信操作(公衆通信である電報の送信及び受信のための通信操作を除く。) 二 前号の無線局の空中線電力五十ワツト以下の無線電話、フアクシミリ及びテレメーターで二万五千十キロサイクル以上の周波数の電波を使用するもの(多重無線設備を除く。)の外部の転換装置で電波の質に影響を及ぼさないものの技術操作 |
昭和57年の政令改正で、現行の第一級海上特殊無線技士に相当する、特殊無線技士(国際無線電話)が新設されました。主に国際VHF帯域を扱うための資格です。
従来まで特殊無線技士では国内通信しかできなかったのですが、この資格の登場によって外国船舶との交信が可能となったわけです。資格上は、特殊無線技士の甲、乙の上位に該当する資格なのですが、既に、甲、乙、丙の文字を使っていますので、資格の目的を名称にしたっぽいです。
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
特殊無線技士 (国際無線電話) |
一 次に掲げる無線設備の通信操作(国際公衆通信のための通信操作を除く。)及びこれらの無線設備(多重無線設備を除く。)の外部の転換装置で電波の質に影響を及ぼさないものの技術操作
イ 船舶安全法(昭和八年法律第十一号)第四条(船舶安全法施行令(昭和九年勅令第十三号)第一条において準用する場合を含む。)の規定により無線電信又は無線電話を施設しなければならない船舶以外の船舶(漁船を除く。)及び漁船に施設する空中線電力五十ワツト以下の無線電話で千六百六・五キロヘルツから四千キロヘルツまでの周波数の電波を使用するもの ロ 移動局の空中線電力五十ワツト以下の無線電話(航空機に施設する無線電話を除く。)で二万五千十キロヘルツ以上の周波数の電波を使用するもの 二 前号に掲げる操作以外の操作で特殊無線技士(無線電話甲)の操作の範囲に属するもの |
続いて昭和59年(1984)、第三級海上特殊無線技士相当の特殊無線技士(無線電話丁)が新設されました。
資格が創設された経緯は、漁業新通信システム(昭和58年に制度化された40MHzバンド/船舶局側最大5W)の対応のためです。また、旧来からあった27MHz DSB 1W機向けの緩和資格という意味もあるように思えます。
現在と大きく異なる部分は、国際VHF帯が完全除外されていること。今のようにマリンVHF用の位置付けが加わるのは平成2年からのことです。その改正の経緯は海上自衛隊潜水艦なだしおと遊漁船第一富士丸の衝突事故が原因でした。
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
特殊無線技士 (無線電話丁) |
船舶に施設する空中線電力五ワツト以下の無線電話で二万五千十キロヘルツ以上の周波数の電波(百五十六メガヘルツから百五十七・四五メガヘルツまでの周波数のものを除く。)を使用するものの国内通信のための通信操作及びその無線電話(多重無線設備を除く。)の外部の転換装置で電波の質に影響を及ぼさないものの技術操作 |
平成元年の改正が現在の無線従事者資格の原形です。従来の全資格が陸・海・空に分類される大改正でした。そのため、旧資格は陸上も海上も操作可能だったのに、新資格だと、陸や海に限定されることになります。そして現在の資格はこれ以降改廃はありません。
一例を挙げると、特殊無線技士(レーダー)を持つ者は、レーダーであれば何でも操作できたのですが、レーダー級海上特殊無線技士を取得した者は、海上のみに限定されることになりました。(なお、旧資格の保持者は現在もなお、旧令の操作範囲が認められています。)
最後の大改正です。40年ぶりに正規の通信士資格ができました。それが海上無線通信士です。
理由はGMDSS(衛星利用の海上遭難システム)対応の資格の整備のためで、ここに大きな無線従事者制度の転換があります。
GMDSS運用にあたっては、ITU条約における無線電子証明書を要求されるため、新資格の1海通から3海通、それと従来の1海特をそれぞれに該当させました。
国内資格 | ITU-R 無線通信規則資格 |
---|---|
1総通・1海通 | 第一級無線電子証明書 (First class Radio Electronic Certificate) |
2海通 | 第二級無線電子証明書 (Second class Radio Electronic Certificate) |
3海通 | 一般無線通信士証明書 (General Operator's Certificate) |
1海特 | 制限無線通信士証明書 (Restricted Operator's Certificate) |
ここでのポイントは、2総通、3総通と4海通が、GMDSSの範囲に入っていないということです。従来、無線電信による遭難通報が主だったのが、この時点をもって衛星へ移行したわけで、資格上も総合無線通信士の需要が激減しました。
また、1海特(旧特殊無線技士(国際無線電話))も国際条約下では、通信士の仲間入りをしているという、今までに無い状況が出来ています。
これが、3総通、4海通の操作範囲に1海特を含まない原因です。
現行のITU-R 附属無線通信規則において、本文に正規の資格として記載があるのは、上記4種の国際資格と、航空関係の無線通信士一般証明書だけで、従来の国際資格はおまけで記載されているみたいです。(付属書の付録分が見当たらないので・・・多分ですけど)
(従来とは、無線電信通信士証明書とか、無線通信士一般証明書とかのことです。このうち、無線通信士一般証明書は現在も1総通に対し発給されているのですが、上記、3海通の「一般無線通信士証明書」とすごく紛らわしい別物です。英文だと、Radiocommunication Operator's General Certificateが無線通信士一般証明書で、電信も含んでますが、General Operator's Certificateは電信を含んでいません。)
上記の通信士関連整備の他にも、特殊無線技士が1つ増えました。
第3級陸上特殊無線技士です。
経緯は不明ですが、陸海空の3分類をしたのが直接の影響かもしれません。
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
第三級陸上特殊無線技士 | 陸上の無線局の空中線電力五十ワット以下の無線設備(レーダー及び多重無線設備を除く。)で二万五千十キロヘルツ以上の周波数の電波を使用するものの外部の転換装置で電波の質に影響を及ぼさないものの技術操作 |
翌年、3海通の操作範囲が法で定められたとき、通信士の資格の中で唯一アマチュア操作範囲が割り当てられませんでした。
これまでは通信士・技術士と名が付くものは全てアマチュア資格を操作範囲に含んでいたものの、ここで初めて例外が現れます。法制ミス?とか言われている部分でもありますが、どうも単純には言えなさそうです。
第一に、官報公布時の改正の書き方からして、ミスとは考えにくいこと。下の写真を見てください。
(平成2年7月10日 官報号外85号 p.10)
100%保証ではありませんが、3海通をアマ資格に割り当てない意思があるように見える公布分です。二つ目に、3海通に限って技術操作の範囲が「無線設備の外部の転換装置で電波の質に影響を及ぼさないものの技術操作」になっている点です。
似たようなものとして、航空通信士の資格範囲がありますが、こちらは「無線設備の外部の調整部分の技術操作」で表現が全く違います。実は、2海通がこれと同じ表現を使っています。航空級は従来から4アマに割り当てられていましたので、2海通は4アマが出来てもおかしいとは思えません。
また、4海通(旧電話級通信士)も、4アマに相当していたわけですし、加えて操作範囲も「無線設備の操作」で、実は2海通よりも技術操作範囲が広い部分があります。よって、これも問題ないですね。なお、4海通は、4級と名前がついてるにも関わらず、3級よりも工学が難しいです。3海通を取得する際には、4海通の免許で工学が免除になるぐらいですから。
では、他に「無線設備の外部の転換装置で電波の質に影響を及ぼさないものの技術操作」と定められている資格は何かというと、特殊無線技士しか見当たりません。従来からも一切アマ資格操作範囲の割り当てが無い部類です。
すると、技術操作範囲レベルから、あえて3海通を4アマ資格から外したのではないかと思えるわけです。ただし、工学試験レベルを考慮すると4アマ並か上位と考えても差し支えないので、本当にミスだった可能性も全くゼロではありません・・・。
どうやら古い特殊無線技士の下記3資格は「死格」となった後も、しばらく生き残っていたようです。
廃止されたのは、昭和33年(1958)の政令からです。政令公布文の中には一つとして下記3資格に触れられた文言は現れませんが、最後の方にこんなこっそり規定がありました。
無線従事者操作範囲令 附則(昭和33年11月4日 政令306号)
3 改正法附則第二項の規定により特殊無線技士の資格の免許を受けたものとみなされた者うち、次の表の上欄に掲げる資格を有するものは、それぞれ同表の下欄に掲げる資格に係る無線設備の操作を行うことができるものとし、その他の資格を有するものの行うことができる無線設備の操作の範囲は、従前の例による。
ここの「その他の資格」が上記3資格ということです。
当初調べ始めたときは、まだ現在も有効かと思いましたが、法規をよく読むと(平成元年政令325号附則3、5)除外されているようなので、少なくとも、平成2年まではゾンビだった資格ということに訂正しておきます
でも、統計データ(総務省/Excel)に掲載されているのはすんごく気になります。もしかしたら、まだ生きていたりして・・・。
資格種別 | 操作範囲 |
---|---|
特殊無線技士 (簡易無線電話) |
簡易無線局の無線電話であつて検定規則による型式検定に合格したものの操作 |
特殊無線技士 (陸上無線電信) |
一、五〇〇kcから四、〇〇〇kcまで及び四、六三〇kc(非常通信用のもの)の周波数を使用する空中線電力五〇ワツト以下の固定業務又は移動業務(海上移動業務及び航空移動業務を除く。)の局の無線電信の技術操作 |
特殊無線技士 (国際無線電信) |
陸上に開設した無線局(海岸局及び航空局を除く。)の国際通信及び国内通信のための通信操作 |
簡易無線電話は現在でいうところのCB無線用のようです。当時にしては、相当な高周波帯域である150MHzや460MHz帯での無線電話用のものです。検定外品、例えば自作機だと2級通信士の資格が必要でした。(参考:http://citizensradio.web.fc2.com/)その後は、従事者免許が不要となりました。
陸上無線電信は、陸上オンリーではあるものの、中短波の技術操作が全て可能ですから、国内電信と組み合わせると、なかなか使い勝手が良さそうな気が。
国際無線電信はまったくよく分からない・・・。今となっては、外国と電信で交信する陸上局がなくなったので、もちろん使える場所がありません。なぜ国内電信級とみなされなかったのか不思議です。
本調査の目的は、なぜこんなに多数の無線従事者資格があり、そして、上下関係が複雑怪奇なのかという問いに答えることでした。
個々の事情を大まかに積み重ねてみると、以下のようにまとめられそうです。
結論:資格を増やしまくった昭和時代、最後のトドメを刺したのが平成元年改正。
出典:日本無線史 第4巻(p.615)
年度 | 1級 | 2級 | 3級 | 航空 | 電話 | 聴守 | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
昭和6年 | 1,600 | 912 | 362 | - | 2 | 607 | 3,483 |
昭和7年 | 91 | 23 | 35 | - | 6 | 190 | 345 |
昭和8年 | 71 | 14 | 76 | - | 3 | 170 | 334 |
昭和9年 | 69 | 28 | 127 | - | 4 | 531 | 759 |
昭和10年 | 62 | 43 | 230 | - | 7 | 308 | 650 |
昭和11年 | 99 | 43 | 225 | - | 6 | 298 | 671 |
昭和12年 | 160 | 149 | 320 | - | 7 | 193 | 829 |
昭和13年 | 138 | 33 | 386 | - | 158 | 142 | 857 |
昭和14年 | 159 | 70 | 436 | 12 | 157 | 130 | 1,172 |
昭和15年 | 189 | 309 | 482 | 5 | 75 | 112 | 1,172 |
昭和16年 | 407 | 645 | 449 | 5 | 501 | 88 | 2,095 |
合計 | 3,045 | 2,269 | 3,128 | 22 | 926 | 2,769 | 12,160 |
なお、電気通信技術者の取得者数は無線技術士編(昭和15年~現在)に載せてあります。