このページは、無線従事者資格の謎の調査中、ふと気付いた家電修理系統の資格について、その歴史を簡単に追ってみたものです。
きっかけは、過去に存在した無線従事者資格の謎資格「放送受信級」の詳細を追ったことでした。その歴史を遡ると戦前にまで遡ることがわかり、また、足跡を辿ると現代にまで至ることが見えて来たのでした。
本資料は資格取得のためには一切何も役立ちませんが、家電にかかわる技術・文化・経済史の一端をひも解く鍵になる・・・かもしれません。
今から遡ること90年前。日本でもラジオ放送が始まりました。まだ電波法もない時代、旧無線電信法に基づく私設無線局の一種類として、東京放送局(NHK)が愛宕山から標準放送(AMラジオ放送)を始めた大正末期の頃です。放送開始前後のいろいろなエピソードはありますが、それらについては、多くの詳しい資料が残されていますので割愛します。
ここで、家電という観点から見てみましょう。
ラジオ(受信機)というものは、家庭に持ち込まれた最初の電子機器であったことに相違ありません。他に挙げられそうなものは電話機程度でしょう。しかしながら、電話機の方は加入者のメンテナンスが必要ありませんでした。なぜなら、当時の電話機は逓信省からのレンタルだったからです。その点、ラジオは自分自身の責任でメンテナンスや修理をしなければないけない電子機器でした。
ラジオの最初期は原始的な鉱石型ラジオでしたが、まもなく真空管式へ発展し、さらには電池式から交流電源動作型(エリミネータ式)へと技術躍進が著しい時代でした。
こんな当時、さすがに家電屋さんは存在しませんから、ラジオ販売・アフターケアを専門とする業者がいて、それらは「ラジオ商」と呼ばれていました。残念ながら、それらラジオ商の質は玉石混交もよいところ。悪質な業者も多かったと記されています。しかもまだ、日本の電子機器製造業自体が黎明期であって、平均的な技術レベルはお世辞にも良いとはいえない状況でした。
現在のような半導体が無い時代、重要な電子デバイスである真空管も。まだまだ寿命が短く、不安定なものでした。真空管が高性能化・長寿命化したのは戦後しばらくしてからのお話です。
また抵抗器やトランスといった重要部品も、現代から見れば極めて信頼性の低いもので、ラジオというものは、マメな修理・メンテナンスといったものが欠かせない家電製品だったのです。例えば電池式のラジオであれば定期的にバッテリーのメンテナンスが必要不可欠でした。そんな不安定な商品でいながら、販売価格は非常に高価なものでした。
昭和2年度末には約11万台の真空管式ラジオ(ほぼ電池式)があったのですが、故障による聴取不能多発の声に放送協会(現:NHK)は悩まされます。
ラジオの修理は販売店であるラジオ商に頼るのが一般的だったのですが、技術レベルの劣る業者が多数混じっているばかりか、わざと壊れやすいラジオを売りつけて多額の修理費を要求するなどの例もあり、業界全体がひどく荒んでいたと言います。そんな背景もあってNHKが出した対策がラジオ相談所の開設でした。
ラジオ相談所は、昭和3年から放送協会直営でラジオの故障診断、調整、相談を行う目的で設置されたものです。協会自らが診断から修理までを実施することに対しては、ラジオ商からの反対が強く、修理自体はラジオ商で行うものとしつつ、「診療」という名の故障診断と、ごく簡易なものに限り修理も行うものしていました。
日本無線史によれば、「審査」<「診療」<「修理」の間をとって苦心しながらこの用語が採用されたとしています。しかし、NHK直営で実施するのには聴取者が多すぎることもあり、限界が見えていることから、昭和4年頃よりラジオ商を公認しようという動きが始まり、以降のそのための基礎として、全国で「技術講習会」を強化・実施していく運びになりました。
協会は昭和11年6月、ラジオ相談所指定規程を発表します。協会直営ではなく、一般のラジオ商あるいは電気事業者(供電業者)に対し技術認定を行ってラジオ相談所とし、聴取者の便宜を図る道筋ができあがりました。
※現在のように、電力会社が9社に集中したのは戦時体制(国家総動員法以降)の影響によるもの。それまで400社以上存在していた電力会社は民間企業である。各電力会社はラジオ販売にも精を出していました。(現代風に言えば、オール電化住宅を売り込むようなもの。)
協会からラジオ相談所に指定されれば、「日本放送協会指定ラジオ相談所」の看板を掲げることができ、またその業者は修理に必要な設備、技術力、そして審査料金までもが一律であることを保証されるといことで、悪質な業者や技術力の無いラジオ販売業者が排除されるきっかけとなったのです。
指定ラジオ相談所には、協会規程によって主任技術者を配備しなければならず、またその技術者は、協会の実施する試験に合格しなければいけないことになりました。
これが日本最初の家電修理資格である、日本放送協会指定ラジオ相談所 主任技術者検定です。
指定ラジオ相談所規程は、本部直轄地域(JOAK中央放送局;関東)から施行されていき、順次、地域を拡大していきました。
最初は昭和11年(本部)ですが、全て銓衡試験(選考試験)で、資格要件を満たすものに対しての実地試験のみの実施となっています。場合によっては実地試験も免除になり、昭和12年には15名の無試験組がいました。
昭和16年末からの対米英開戦に伴い、修理部品の欠乏、ラジオ受信機供給の逼迫が酷くなっていきました。加えて、技術者の応召、徴用もあり、ラジオ商が廃業することも多くなったため、アフターケア体制は非常に悪化していきます。
当時、国家による企業整理、資材統制が行われたいた時代で、ラジオメーカも「ラジオ受信機統制組合」に吸収され、資材配分を受けているぐらいの状況。そんな中、協会は逓信院の協力を仰ぎ、指定ラジオ相談所の企業整備除外と、主任技術者の徴用免除を実現しています。
未詳な点が多いですが、戦後は「指定ラジオ店」と名前が変わっています。最終的には昭和25年3月末、放送法の施行を待って指定制度そのものが廃止されたのでした。
昭和15年 電気通信技術者資格検定規則(逓信省令13号)が制定され、4種の資格が制定されました。 第1級、第2級、第3級(無線)、第3級(有線)です。
本資格は、国際電気通信(株)の他、放送協会の主任技術者に対しても資格取得を義務付ける制度で、放送設備の建設、保守にあたって選任する必要があったものです。
現行の電気通信主任技術者資格とメチャ類似した資格ですが、直接のつながりは一切ありません。無線が範囲に入っているものの、条約に基づかない純粋な国内資格であり、現在の陸上無線技術士が、本資格(1~3級無線)の直系子孫にあたる資格です。
戦後間もない、昭和21年3月。閣令16号によって電気通信技術者資格検定規則が改正され、放送受信級が追加されました。
私の調査上、まだまだ未詳な点ですが、なぜか指定ラジオ相談所主任技術者検定試験が逓信省の国家資格となったのです。その証拠の一例として、命令の附則を裏読みすると、指定ラジオ相談所の主任技術者は、無試験で取得できる制度となっていることが分かります。
現代仮名遣いに直して、さらに意図を汲むならば以下のようになるでしょう
一応、国家資格である以上、放送協会に対して「放送受信級」を選任しなくてはならない設備が定められました。第3級(無線)が必要だった無線中継用受信装置の保守は、放送受信級でよいこととなり、事実上の格下げです。
法的には、本資格を使用する場面は限られるのは明白で、実質的にはラジオ修理技術者を国家認定する目的の資格であったのは間違いありません。当時の解説を紹介します。
そしてこれ以降、放送協会は放送受信級取得者をラジオ修理技術者として扱うことになったのでした。
放送受信級を含む全ての電気通信技術者資格は、遡及命令によって昭和24年6月1日付で廃止されました。(昭和24年9月5日 電気通信省令第4号 電氣通信省設置法の施行に伴う関係省令の整理に関する省令 第29条)
制度廃止の理由を明確に書いた資料は見当たらないのですが、以下のような事情によると思います。
なお、国際電気通信(株)が解体された昭和22年度以降は、放送級以外の試験は行われず、実務経験による選考検定のみという状況になっています。
電波法も廃案を繰り返し、資格廃止の翌年(昭和25年)になってようやく成立しているので、タイミングがずれたものと想像しています。昭和23年度に検討された電波法の原案には、放送受信級も載っていたぐらいですが、受信を自由化する電波法の基本原則からみて、廃止されたのでしょう。廃止された資格の一部は、電波法上「無線技術士」として復活するのですが、3級(有線)と放送受信級については、完全に廃止となった訳です。
しかし、無くなったはずの放送受信級は後に、通産省の手によって復活を遂げることになるのでした。
放送受信級は 昭和21年度から昭和23年度までの3年間だけ試験が実施されました。(選考試験に限り、昭和24年度まで継続)。
合計で7,312名の資格取得者となっています。(うち、試験合格者が2,069名、銓衡(選考)試験が5,243名)
年度 | 試験合格者数 | 銓衡取得者数 |
---|---|---|
昭和21年 | 200 | - |
昭和22年 | 1,455 | 5,120 |
昭和23年 | 414 | - |
昭和24年 | - | 123 |
合計 | 2,069 | 5,243 |
放送受信級が廃止され、指定ラジオ店制度もなくなった昭和26年。電気通信省や電波監理委員会ではなく、通商産業省の手によって、国家試験制度が創設されました。
(目的)
第一條(試験)
第三條比較用として、放送受信級の試験科目を掲げ、比較すると、以下のようになります。
放送受信級の科目 | ラジオ検定の科目 |
---|---|
一 電氣理論及び電氣磁氣測定 | 一 電気磁気理論および電気磁気測定 |
二 放送無線大意 | 二 無線工学の大要 |
三 放送無線聽取装置取扱法 | 四 ラジオ受信機の取扱方法 |
四 電氣通信概論 | 該当なし |
該当なし | 三 電波および放送関係法令の概要 |
上記を見ても、法令関係以外はほとんど旧放送受信級と代わりないことが分かります。しかも、廃止資格の実質的な引き継ぎも認められたのです。
なお、規程上は受験年齢制限はなく、以下の資格者(学歴では電気通信工学や電気工学を修得した者)は選考試験を受験することもできました。
第1回の試験は国の直営試験として実施されましたが、それ以降は全て(財)電波技術協会によって委託実施されていくことになります。
昭和27年5月20日 通商産業省告示113号によって、試験を法人へ委託実施可能とし、その指定先として(財)電波技術協会が指定されました。以降、昭和27年度から昭和34年度まで電波技術協会にて試験が代行実施されていきます。
この協会は、昭和25年12月頃から参院議員、電波監理委員会、電気通信省、通産省、NHK、無線通信機械工業会などのメンバーが中心となったラジオ・テレビ懇談会が元となり、昭和27年3月に財団法人として設立されたものです。
昭和26年度の第1回試験の詳細は不明ですが、委託後の昭和27~34年までの間に14,462名の合格者が誕生しています。本修理検定自体は昭和35年度末の告示(S36.03.31 告示133)によって、制度廃止となりましたがが、協会の手によってラジオ→TVとバージョンアップする形で資格が存続していくのでした。
年度 (昭和) |
申請者 | 受験者 | 合格者 |
---|---|---|---|
27 | 4,188 | 3,704 | 1,776 |
28 | 4,739 | 4,265 | 1,850 |
29 | 4,770 | 4,359 | 2,145 |
30 | 4,897 | 4,558 | 1,850 |
31 | 4,591 | 4,290 | 1,506 |
32 | 4,592 | 4,161 | 1,741 |
33 | 4,612 | 4,120 | 1,645 |
34 | 4,568 | 4,053 | 2,129 |
合計 | 36,957 | 33,510 | 14,642 |
既に、ラジオ放送については十分な普及期に差し掛かった頃の昭和28年。ついに日本でもテレビ放送が開始されました。やがて急速に普及が進むことで、ここでも、ラジオ同様、修理技術者の育成が課題となってきたようです。
(財)電波技術協会が、独自で資格制度を設けて昭和33年度から「テレビジョン受信機修理技術試験」を実施したのが最初でした。この資格自体は、特に法的根拠もなく、今でいうところの国と密接なかかわりのある財団法人によって運営される公的資格あるいは民間資格という扱いでしょう。
ところが、事情は不明ですが、通産省がすかさず国家試験化を進めてしまいました。今度はラジオの例にならい、最初から試験委託ができるような形での登場です。
(目的)
第一条(試験)
第三条しかも、電波技術協会が独自に実施した第1回試験の合格者に対しても、引き継ぎが規定されているという、いたせり尽くせりな内容には驚かされます。まぁ出来レースなのでしょう。
規則上は、国が実施するのが基本で認定法人が試験した者も選考試験(=単なる認定)という形で資格を付与しますという、やや不思議な規則になっています。ただ、ラジオと異なり一度も国家直営試験として行われたことはありませんでした。
電波技術協会はラジオテレビ懇談会が母体であったように、放送前からTV技術への関わりが深く、既に昭和27年から技術講習会を開催しているほどでした。
昭和28年にはテレビジョン技術者養成所を開設するなど、学校組織運営も始めていたのです。こんな下地があったからこそ、TV技術者向けの認定試験が実施可能であったといえるでしょう。
当時のTVは最新IT機器ですし、また技術者のニーズが旺盛な時期でもあり、協会以外の私学でもテレビ技術を看板にして生徒集めをしていたようです。そして、ここで学校団体とかなり揉めたことが、続日本無線史に記述されています。
要するに、協会が試験実施することは良いとしても、学校まで運営されては私学の立場が無いという主張でした。(全国テレビ技術学校協会、後に全国電子教育連盟へ併合)
実際問題、国家試験の認定法人となった際にも、実施条件として学校運営をやめることが指示されていたことが、協会のあゆみに記されています。この紛争の決着が付かず困った通産省は、昭和35年度試験を中止しました。中止したのは新規試験のみで、前年度の科目合格者向けには救済試験が実施されています。
通産省は、省内に試験運営委員会を設立してまで対応に奔走したのですが、結局、昭和36年度末をもって、制度廃止せざるを得なくなったようです。(昭和37年3月31日 通商産業省 告示133号 ラジオ受信機修理技術者検定規程およびテレビジョン受信機修理技術者検定規則を廃止する告示)
よって、国家資格であった時期はわずか2年のみ、試験回数も公布前、公布後合わせても2回のみと言う、中途半端な状態で、一度その歴史を閉じるのでした。
協会側もある程度折り合いを付けようとした点はあったようですが、通産省から幾たびも学校と試験実施を分離するよう勧告を受けていたとあります。もともと、テレビ試験の認可を受けたときに通産省重工業局から付けられた条件にも、学校と試験の分離が条件となっていたと記されています。結果として、昭和35年より協会から学校部分を分離(財団法人電波技術学園:テレビ工学専門学院)しました。
現在は渋谷並木橋交差点近くにある(社)情報通信エンジニアリング協会が入るビルのある場所が、当時の立地というまでは追えましたが、同名学校は見当たらず、継承学校があったのかどうかは不詳です。(少なくとも昭和46年前後までは存在していたのは確認。)
上記の問題については、協会側資料には事実関係のみが列挙されていて、ほとんど「無かったこと」扱いにされていました。続日本無線史でも詳しい部分は協会側視点で書かれていて(当然協会が書いたものなので。。。)、テレビ教育連盟が悪者扱いに(苦笑。
テレビ連盟側の記載も、新組織(全国電子教育連盟)に移行してこの種の問題は無くなった程度しか書かれていないため、経緯については時系列も含め、多くの謎が残っています。
昭和37年には、電波教育連盟の働きかけにより、協会とテレビ連盟の間で協議を行うものの、上手くいかなかったようで早々と解散しています。昭和38年に全国ラジオテレビ電機組合連合会の強い働きかけにより、とりあえず試験実施するという形で、問題の火種であった学生を除外した上で昭和39年度から、協会独自資格として実施されていくのでした。(昭和40年度からは学生制限がなくなった。)
昭和42年以降は年2回(3月と8または9月)実施され、以降49年度まで実施されることとなります。昭和42年度からは、試験制度も大きく変わり、実技試験が無くなったことに加え、カラーテレビ対応化したとされ、また、年2回の実施となりました。
ただし、国の認定は無いままですので国家資格ではなく、認定も無いため公的資格ともいいにくいでしょうから、民間資格として運営されていったと言うのが適切かもしれません。
最大で年間14,000名弱(昭和42年)を超える受験者がいたものの、時代が下るにつれ、下火になっていったようで、末期にはおおむね6,000名前後となっています。
実施回 | 年度(昭和) | 1次試験(筆記) | 2次試験(実技) | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
申請者 | 受験者 | 合格者 | 申請者 | 受験者 | 合格者 | ||
1 | 33 | 6,837 | 6,127 | 4,765 | 4,451 | 4,322 | 2,056 |
2 | 34 | 4,656 | 4,260 | 1,459 | 3,052 | 2,892 | 1,244 |
- | 35 | - | - | - | 534 | 520 | 347 |
3 | 39 | 6,991 | 6,284 | 3,563 | 3,447 | 3,371 | 2,359 |
4 | 40 | 6,837 | 6,226 | 2,272 | 2,936 | 2,808 | 1,883 |
5 | 41 | 7,261 | 6,546 | 3,516 | 3,925 | 3,692 | 2,616 |
合計 | 32,582 | 29,443 | 15,575 | 18,345 | 17,605 | 10,505 |
実施回 | 実施日 | 申請者 | 受験者 | 合格者 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
2科目 | 1科目 | 2科目 | 1科目 | |||
6 | S42.08.06 | 8,238 | 966 | 7,612 | 871 | 3,636 |
7 | S43.03.10 | 5,639 | 1,809 | 5,359 | 1,769 | 3,318 |
8 | S43.08.25 | 5,269 | 1,157 | 4,720 | 1,085 | 3,451 |
9 | S44.03.23 | 5,892 | 911 | 5,356 | 857 | 3,316 |
10 | S44.08.24 | 4,894 | 1,215 | 4,161 | 1,131 | 2,261 |
11 | S45.03.15 | 5,863 | 865 | 5,258 | 803 | 2,877 |
12 | S45.08.25 | 4,138 | 1,073 | 3,566 | 1,006 | 1,815 |
13 | S46.03.21 | 4,214 | 679 | 3,789 | 627 | 1,497 |
14 | S46.09.12 | 3,054 | 765 | 2,627 | 726 | 1,280 |
15 | S47.03.19 | 3,240 | 679 | 2,979 | 644 | 1,441 |
16 | S47.08.27 | 2,541 | 590 | 2,209 | 556 | 940 |
17 | S48.03.18 | 3,964 | 460 | 3,658 | 432 | 1,851 |
18 | S48.08.16 | 2,383 | 822 | 2,066 | 784 | 1,349 |
19 | S49.03.24 | 4,063 | 483 | 3,736 | 460 | 2,414 |
20 | S49.09.23 | 0 | 186 | 0 | 164 | 31 |
合計 | 63,392 | 12,660 | 57,096 | 11,915 | 31,477 |
備考:第20回試験は、第18回、19回の科目合格者のみを対象とした特別試験
きっかけは、昭和48年のオイルショック・・・と、電波技術協会の資料に書かれています。
通産省は「家庭用電子・電気機器の修理サービスの向上策」を省議決定し、昭和49年5月20日には「家庭用電子・電気機器修理技術審査認定実施規程」を定め、修理サービス技術向上を図ろうとします。
目的の一つは、家電を長持ちさせるというところにあるようです。それを受け、(財)電波技術協会は、新たにカラーテレビジョン受信機修理技術試験を申請し、8月6日に第1号の認定を受けます。以降、3年毎に認定の更新を受けることとなります。ここに、十余年の空白期間を経て通産省認定資格が復活することとなりました。
大手を振って、「通産省認定カラーテレビジョン受信機修理技術者試験」と称されることになるのです。
以後、昭和56年までに通算17回の試験が実施され、75,429名の合格者を出しています。なお、廃止された旧テレビジョン受信機の合格者に対して、少なくとも1度(第3回)は特例試験が実施されたようです。
実施回 | 実施日 | 申請者 | 受験者 | 合格者 |
---|---|---|---|---|
1 | S49.09.23 | 13,900 | 12,940 | 5,139 |
2 | S50.03.30 | 16,302 | 14,225 | 6,536 |
3 | S50.07.28 | 10,698 | 10,385 | 10,369 |
4 | S50.09.28 | 5,648 | 4,987 | 1,875 |
5 | S51.03.28 | 7,865 | 6,828 | 2,014 |
6 | S51.09.19 | 5,632 | 4,967 | 2,411 |
7 | S52.03.21 | 5,718 | 4,916 | 1,488 |
8 | S52.09.18 | 3,855 | 3,377 | 1,511 |
9 | S53.03.19 | 7,424 | 6,531 | 2,514 |
10 | S53.09.17 | 5,176 | 4,592 | 1,690 |
11 | S54.03.15 | 8,062 | 7,138 | 3,242 |
12 | S54.09.23 | 17,149 | 14,771 | 4,623 |
13 | S55.03.23 | 26,892 | 22,897 | 11,892 |
14 | S55.09.21 | 19,548 | 16,241 | 5,119 |
15 | S56.03.29 | 24,644 | 21,035 | 10,581 |
16 | S56.06.21 | 4,848 | 4,644 | 3,724 |
17 | S56.07.26 | 1,158 | 1,004 | 701 |
合計 | 184,519 | 161,478 | 75,429 |
※第3回試験は、テレビジョン受信機修理技術試験の合格者に対する、特例試験。
さて、カラーTV試験への通産省の最終認定は昭和55年8月6日でした。ただし、このとき通常3年間の認定期間であったものが、なぜか1年となっています。このとき既に、通産省内で新制度の検討が進められていたのでしょう。
そして、期限切れの4日後、昭和56年8月10日に通産省告示380号で、「家庭用電子・電気機器修理技術審査事業認定規程」が公布され、新たな修理技術試験制度が創設されたのでした。
そして、今回も電波技術協会は申請を行い、認定を受けます(S56.9.10 告示436号)。わずか2週間後の9月21日には試験公示も行われ、第1回の試験はその2か月後11月22日でした。超スピードですね。(余談ですが、9月中に資格本も出されています。『製品別サービス技術、家電製品協議会編、NHK出版。家電製品協議会が母体となり、家電製品協会が発足しています。)
ところが、以前と異なり、2つの法人が認定を受けているのです。この理由は完全に定かではありませんが、推測を後述します。電子機器の方は従来どおり(財)電波技術協会へ、電気機器は(財)家電製品協会へと分離したのです。このうち試験内容は従来寄りの「電子」と、新設された「電気」分野というカテゴリわけです。
第1回試験の公示内容(官報)から抜粋
第1回試験の公示内容から抜粋
試験実施業務の認定期間は、従前と同じ3年間で、歴史ある電波技術協会は認定の再申請をせず、試験実施業務から完全に手を引きました。そして、以降は電気・電子どちらの試験種別も(財)家電製品協会にて実施され、今に至ることになります。
ただ、試験の公示や実施は、2法人が共通して実施していて、かつ電波技術協会側の資料よれば試験が始まった翌年度(昭和57年度)からは『家電製品協会へ移管』したとあるので、実質的には家電製品協会へスムーズに移管するためのツナギとしての役割であったと推測されます。
試験制度が開始されたその当月(昭和56年9月)に、家電製品協議会名の資格本が出版されていて、電波技術協会名義の出版物はありません。
制度開始直前の昭和55年6月に協議会は(財)家電製品等再資源化促進協会に吸収合併されていて、(財)家電製品協会発足となった経緯がありますので、最初から電波技術協会側がメインで動く役割を担っていなかったのではないかと思われる訳です。
そして、昭和59年9月16日に実施された第7回試験公示を最後に、電波技術協会の名前は消え、家電製品協会へ一本化されていくことが確定しました。
では、電波技術協会は3年間何をしていたのか・・・。実は、制度廃止となったカラーテレビ試験の合格者に対し、講習試験を実施して、家庭用電子機器修理技術者の認定を行っていたのです。昭和57年1月~2月の第1回から、昭和58年10月までの計4回まで経過措置講習試験を実施していました。その経過措置に関する統計データまだ未見ですが、第1回分だけは見つかりましたので、ここに掲示しておきます。非常に高い合格率ですね。
回数 | 実施日 | 申請者 | 受験者 | 合格者 |
---|---|---|---|---|
第1回 | S57.01.24 S57.02.14 S57.02.28 |
39,532 | 38,330 | 38,295 |
第2回 | S57.09.12 | ? | ? | ? |
第3回 | S58.05.28 | ? | ? | ? |
第4回 | S58.10.16 | ? | ? | ? |
一方、電波技術協会が直接実施していた(らしい)家庭用電子機器修理の1、2回目については以下のようになっています。
実施日 | 回数 | 申請者 | 受験者 | 合格者 |
---|---|---|---|---|
S56.11.22 | 1 | 3,232 | 2,833 | 1,703 |
S57.03.21 | 2 | 2,617 | 2,273 | 1,133 |
昭和57年以降、平成12年度までの計38回分の実施状況については、資料未入手です。
橋本内閣時代の平成8年9月20日「公益法人の設立許可及び指導監督基準」と「公益法人に対する検査等の委託等に関する基準」が閣議決定され、小渕内閣時代の平成10年12月4日、公益法人等の指導監督に関する関係閣僚会議幹事会申合せによる、行政委託型法人等の総点検が行われました。
そして、平成12年9月に通商産業省から「行政委託型法人等に対する総点検結果(平成11年度分)について」が発表され、平成13年2月25日の第40回試験を最後に資格の終止符が打たれたのでした。
平成13年3月末をもって公式に認定制度は廃止されます(H13.3.30 経済産業省告示246)。通商産業省自体も経済産業省にとって代わった時期でした。
これは本資格単独で起きた事象ではなく、例えば文部省認定であった英検も同時に見直し対象となっています。その一方で、「認定」という曖昧な資格ではなく、正式に「法律」に則った資格は本議論の対象外でした。
国(経済産業省)の認定制度が無くなるとともに、家庭用電子・電気機器修理技術者試験は廃止され、H13年度から(財)家電製品協会独自制度による「家電製品エンジニア・家電製品アドバイザー」試験となりました。
従来の資格に該当するものは、「家電製品エンジニア」で、
の2種類が定められました。これは従来の2資格(電気・電子)に対応したものです。
また、従来無かった家電製品アドバイザー試験が新たに追加されることになりました。その他の大きな変更点は受験資格が撤廃されたことでしょうか。
また、旧資格の科目合格者についても、そのまま新試験に移行可能で救済策があったようです。元来、修理技術者試験は5年毎に更新講習がありましたので、旧資格者は、新資格へ講習試験を受けることにより、家電製品エンジニアへ移行できることとなりました。
平成20年度時点で、エンジニア資格保有者が5万9千人とされていますが(家電製品協会 事業報告書)、合格者数の判明分だけを見ても8千名程度であることから、そのほとんどが旧資格の更新組であると考えられます。本資格実施状況については、(荒い)調査が付いた分のみ下記に記載しておきます。クエスチョンマーク分は未判明分です。
回数 | 実施年月日 | エンジニア(AV情報) | エンジニア(家電) | ||
---|---|---|---|---|---|
受験者 | 合格者 | 受験者 | 合格者 | ||
第1回 | 2001.09.XX | ? | ? | ? | ? |
第2回 | 2002.03.17 | ? | ? | ? | ? |
第3回 | 2002.09.08 | ? | ? | ? | ? |
第4回 | 2003.03.16 | 625 | 155 | 769 | 305 |
第5回 | 2003.09.14 | 553 | 212 | 566 | 267 |
第6回 | 2004.03.14 | 701 | 210 | 772 | 181 |
第7回 | 2004.09.19 | 590 | 224 | 475 | 159 |
第8回 | 2005.03.13 | 602 | 186 | 653 | 160 |
第9回 | 2005.09.11 | 559 | 217 | 412 | 155 |
第10回 | 2006.03.12 | 458 | 209 | 416 | 152 |
第11回 | 2006.09.10 | 464 | 178 | 359 | 187 |
第12回 | 2007.03.11 | 595 | 383 | 679 | 336 |
第13回 | 2007.09.09 | 563 | 267 | 510 | 240 |
第14回 | 2008.03.09 | 673 | 352 | 687 | 380 |
第15回 | 2008.09.14 | 673 | 291 | 455 | 217 |
第16回 | 2009.03.15 | ? | ? | ? | ? |
第17回 | 2009.09.13 | 1,048 | 530 | 753 | 401 |
第18回 | 2010.03.14 | ? | ? | ? | ? |
第19回 | 2010.09.12 | 857 | 323 | 665 | 358 |
第20回 | 2011.03.13 | 635 | 289 | 514 | 208 |
第21回 | 2011.09.11 | 704 | 307 | 599 | 360 |
第22回 | 2012.03.11 | 521 | 181 | 561 | 246 |
第23回 | 2012.09.09 | 412 | 215 | 377 | 115 |
第24回 | 2013.03.10 | 464 | 280 | 568 | 368 |
第25回 | 2013.09.08 | 365 | 117 | 385 | 124 |
第26回 | 2014.03.09 | 366 | 147 | 442 | 170 |
第27回 | 2014.09.07 | 246 | 64 | 309 | 82 |
第28回 | 2015.03.08 | 296 | 129 | 371 | 196 |
あくまで理論上ですが、昭和33年度以降のテレビジョン受信機修理技術検定合格者は、現行の家電製品エンジニアに至るまで、50年以上もの資格継続が可能であったということになります。また、現行の公式テキストがNHK出版であるということには、上記のような背景があって初めて理解ができることでしょう。
ちなみに、戦前の教科書はNHKの「ラジオ技術教科書」また、放送受信級の問題集も全て放送協会出版会(現NHK出版)であり、電波技術協会も発足時からNHKと非常に関係が深く、また、家電製品協会発足後もNHK出版(家電製品協議会/編)という部分に変更はありません。