工事担任者資格の歴史 その3
~データ通信の時代~

目次
1章-3章 (戦前・戦中編)
4章-5章 (電電公社編)
8章-9章 (郵政省編)

6. データ通信始まる

昭和30年代後半、日本でもコンピュータが普及し始めた頃です。もちろんパソコンとかマイコンではなく、巨大な電子計算機といった感じのもの。それでも能力はスマホの何万分の一でしょうか。

当初はスタンドアローンだったコンピュータも、データ入出力の利便性から通信回線とつなぐ需要が発生しました。歴史を顧みるに「データ通信」の登場は不可避であったと言えるでしょう。

初期のデータ通信はコンピュータ同士を結ぶ用途ではなく、キーボード・プリンタといった入出力端末を電算センターに接続するのが目的です。シンクライアントとサーバの関係に近いですが、ユーザ側に情報処理能力は全くありません。

なにぶん高価な時代のコンピュータ。貴重な計算資源を多拠点で共有して使いたいのです。

昭和35年(1960)の時点で、国鉄(現JR)はオンラインシステムのMARS(マルス)を稼動させていました。国鉄は電電公社網ではなく自営網でこれを実現していた模様。

では、電電公社がいつから「データ通信」に取り組み始めたかというと、1964東京オリンピックの時からになります。プレスセンターに設置されたIBM製コンピュータと各競技会場を「データ通信」で結ぶことで、競技結果のリアルタイム集計・速報を実現しました。(外部リンク:コンピュータ博物館 東京オリンピック情報システムに詳しい。)これが公社サービスとして最初の例です。

この時の通信速度は 200 baud と 1,200 baud とあります。モデムの方式が分からないですが、この頃であれば 1 baud = 1 bps と捉えて良いと思います。1,200 bps といっても当時としてはかなりの高速回線。基本はアナログ回線で、そうでなければ加入電信(テレックス)でした。

IBM1400

IBM1400コンピュータ (出典:Wikipedia)

6.1 第一次回線開放

第1次回線開放とは電電公社のネットワークで「データ通信」が使用できるようになったという意味です。

1965年以後、企業へのコンピュータ普及と共にデータ通信の必要性が高まってきました。ところが法律面ではこれに対応できていません。電話を念頭に置いた公衆法・有線法では法律違反となってしまうケースが多いのです。

そのため、特別に許可された専用線サービスの形式で、個別対応していたのが実情でした。昭和43年(1968)に電電公社サービス第1号として全国地方銀行データ通信システムが開始されています。

法的な解釈や方針について、コンピュータを主管する通産省と、通信回線を提供する郵政省の間で謎の議論がいろいろありながらも、最終的にデータ通信が許可されることになりました。

昭和46年(1971)の公衆法改正によって、一般の電話回線を利用したコンピュータ通信が可能になったのです。ただし、その工事には工事担任者が必要と法的に明記されました。

○公衆電気通信法
(昭和46年5月24日 法律第66号 改正)
  1. (公衆通信回線使用契約に係る電子計算機等の設置)

    第五十五条の十七
    1. 公衆通信回線使用契約者は、郵政省令で定めるところにより、公社又は会社の認定を受けた工事担任者でなければ、当該公衆通信回線使用契約に係る電子計算機等の設置に従事させてはならない
 
○公衆電気通信法施行規則
(昭和47年11月11日 郵政省令第33号 改正)
  1. 第四条の十七
    1. 法第五十五条の十七又は第百五条第七項の工事担任者の認定は、公衆電気通信設備の種類に従つて行なうものとし、工事担任者の資格の種類、その資格試験の試験科目、試験期日その他の必要な事項は、公社の認定に係る事項にあつては公社、会社の認定に係る事項にあつては会社が定めるものとする。
    2.  前項の規定により認定を受けた工事担任者は、その認定に係る公衆電気通信設備の設置に従事することができる。

6.2 データ通信用工担の誕生

昭和47年(1972)、電電公社の工担規則が全文改正されました。データ通信制度の導入(第1次回線開放)を受けてのことです。

「公衆電気通信設備工事担任者」と改称されたのはこの時点からです。

日本電信電話公社 公示第155号
昭和47年11月11日
○公衆電気通信設備工事担任者認定規則
第一種
構内交換設備の全部及び付属電話機等に係る認定
第二種
共電式構内交換設備、磁石式構内交換設備並びに附則電話機等に係る認定
第三種
地域団体加入電話設備に係る認定
第四種
電子計算機等に係る認定

1種と2種は旧資格から引継ぎ。地域団体種は第3種へ名称が変わりました。これら3資格の内容的に変わりはありません。

最も大きな違いはデータ通信用の第4種が創設されたことです。

この時点のデータ通信とはアナログ電話網かテレックス網を利用したものですが、大半は電話経由なのでデジタルデータを直接流せません。データ変復調装置こと「モデム」が普及し始めたのはこの頃からです。モデムがなくても「音響カプラ」によって受話器にデータを音で流すこともできるようになりました。

第4種の試験科目は以下の通りです。

4種は従来のPBX系資格と一線を画した資格のため、1、2種の所持者も新規受験するか講習会の受講が必要。受験する場合は基礎が免除になります。3種に至っては互いに何の関係もありません。

下記の表は、新資格デビュー後4年間の受験者データです(講習認定者は含まず)。1種と4種に受験者が集中していることが分かります。この2つがあれば公社の工担がコンプリートできるのと、2種,3種の使い道がなかったことを示唆しています。

4種の講習による取得者は未調査ですが、それなりの人数がいたようです。昭和48年2月発表の講習認定者は2,905名でした。

工事担任者受験者データ4
年度 種別 受験者 合格者
S47 1種 4,134 1018
S47 2種 1,526 276
S47 3種 141 57
S47 4種 5,440 3775
S48 1種 4,376 1848
S48 2種 1,299 261
S48 3種 85 34
S48 4種 6,262 2871
S49 1種 4,566 1445
S49 2種 989 251
S49 3種 71 25
S49 4種 5,647 2,237
S50 1種 4,512 1,148
S50 2種 921 203
S50 3種 51 36
S50 4種 6,633 2,670
出典:「電気通信施設」誌 1976年2月号

6.3 国際公衆電気通信設備工事担任者

これまで工事担任者というのはPBXかそれに線路設備が付いた地団電話に関するものだけだったのですが、データ通信用工担の登場により国際系資格が誕生することになりました。

国際電信電話株式会社 公告
昭和47年11月14日(官報11月30日)
○公衆通信回線使用契約に係る電子計算機等の設置工事担任者

資格の種類は1つなので正式名称は「公衆通信回線使用契約に係る電子計算機等の設置工事担任者」となります。

見るからに長過ぎるんじゃないか・・・そんな訳もあってでしょう、翌年の合格発表時に「国際公衆電気通信設備工事担任者」へ改称されました。

これ以後、公社とKDD両社から工事担任者が認定される体制になります。KDDの工担に関する詳細については「国際工担メモ」にまとめてありますので興味のある方はそちらを参照して下さい。

国際工担に関して特筆すべきは、昭和49年(1974)から日本データ通信協会が試験を代行していたということでしょうか。最初はKDDが直接試験を行っていたものの、47年度、48年度の2回だけに留まっています。

デ協という財団法人が発足した理由も公衆法改正による「データ通信」開放に伴ってのことで、国際工担の試験機関という位置付けの他に、公社第4種も含めた試験対策講習会を開催していた記録が残っています。

試験科目は以下の通りです。

このうち、実際にKDD/デ協が実施するのは「科目2」のみで、科目1と3は公社の第4種試験を受験する必要があります。すなわち、国際工担を取得するには公社とKDDの試験を両方受験する必要があるのです。

7. デジタル化の時代

昭和46年(1971)の第一次回線開放以後、データ通信の普及が進んでいきますが、技術的な観点で見ればアナログ音声回線を利用したものでしかありません。モデムを使ってデジタル信号を音声帯域の変調信号として流すしかない環境。

アナログ音声は中継で劣化していくので、長距離通信では速度を上げられません。どうしても頭打ちになるのです。工夫を重ねても 9,600 bps あたりで怪しくなってきます

もう一つのテレックス網はON/OFFで文字コードを送るのでデジタルっぽいものの、加入電信と名付けられていたぐらい古いシステムなので 50 bps 程度の超低速度。これじゃ、やってられません。

そうしたさなか、公社のバックボーンネットワークにデジタル化の波が訪れます。アナログ交換機の最終形態「クロスバー交換機」はデジタル電子交換機に道を譲り、中継伝送路もアナログ搬送多重方式からデジタル中継方式に移行しつつありました。

昭和55年(1985)、ついに、電子交換機を利用したデータ通信用「デイジタル交換網サービス」を公社が開始、翌年には「パケツト交換網サービス」も始まって、回線交換、パケット交換の2サービスが揃います。

これら2つの新しいデジタル中継ネットワークの登場、サービスの開始に合わせて工事担任者制度も対応していくのでした。

7.1 デジタル回線用工担の登場

昭和55年(1980)、電電公社時代としては最後となる工担規則を新たに公示します。従来の規則とは別個に、データ通信(デジタル網)としてのパケット交換種と回線交換種が創設されました。

日本電信電話公社 公示第134号
昭和55年7月28日
○回線交換サービスに係る端末機器の工事担任者及びパケツト交換サービスに係る端末機器の工事担任者の認定について
回線交換種
回線交換端末機器に係る認定
パケツト交換種
パケツト交換端末機器に係る認定

従来の「第4種」はモデムを介してアナログ回線にデータを流すイメージだったものが、48 kbps までのデジタル信号を回線に流せるようになりました。

この時始まったパケット交換サービスは30年も続きます。こちらは「DDX-P」という名称の方が浸透していて、後にアナログ電話からアクセスも可能(DDX-TP)になったことから、かなりのヒットサービスになりました。ネット敬老会ではお馴染みの用語かも。

第4種の有資格者は、認定講習の受講のみで新資格を取得可能な制度になっています。

最終的に、電電公社の工担資格は、1種~4種と回線交換、パケット交換の計6種類が認定対象となりました。以後は、昭和60年(1985)に郵政省資格となるまでこの状態が維持されます。

○工事担任者(公社)の最終形態のざっくり解説
(昭和60年時点)
第1種
アナログPBXの工事保守全て。
第2種
共電式、磁石式PBXの工事保守。磁石式とか存在を疑うレベル。この時点では全国即時ダイヤル通話も可能となっているため、対象設備がどれだけ残っていたか疑問。
第3種
地域団体加入電話設備の工事保守。地団電話はほぼ消滅していたはず。有線放送電話も下火で加入電話に置き換わっていた頃なので、あとはお察し。試験も隔年実施だった時期があるっぽい。
第4種
アナログモデムの設置工事に必要。大人気。
回線交換種
DDX-C サービス用。
パケット交換種
DDX-P サービス用。

通信白書(昭和60年版)によれば、通常の加入電話が4,200万加入の時代で、地団電話が6加入、公社接続の有放は72団体(16.4万台)と特に地団が消滅寸前ですね。

7.2 ICASとVENUS-P

昭和57年(1982)、KDDは国際分野の工担規則を全面改正し、新たに3資格を制度化しました。

国際電信電話株式会社 公告第45号
昭和57年5月13日(官報5月27日)
○国際公衆電気通信設備工事担任者認定規則
国際電信種
電子計算機等に係る認定
国際コンピュータ・アクセス種
国際コンピュータ・アクセス端末機器に係る認定
国際公衆データ伝送種
国際公衆データ伝送端末機器に係る認定

これらは国際系の新たなデータ通信サービスの開始に伴って創設されたものです。旧資格は「国際電信種」という名前が与えられました。資格が増えたので区別が必要になったからでしょう。

新たに創設された2資格には包括関係があって、国際データ伝送の方が上位資格の位置付けです。

「国際コンピュータ・アクセス種」はKDDのICAS (International Computer Access Service)用。昭和55年(1980)にサービスを開始したもので、アメリカのオンラインネットワークデータベースに日本からアクセスできるというものでした。

「国際公衆データ伝送種」は VENUS-P というサービス用です。昭和57年(1982)から開始された国際公衆パケット交換サービスで、平成18年(2006)まで継続したロングセラー商品です。

しかしながら、国際コンピュータ・アクセス種は試験公示がなされたものの受験申請者自体がゼロという結果でした。一方、昭和57年度の国際電信種は293名、国際データ伝送種は399名の申請者がいます。

当時のデ協資料には、包括関係にあったためと推測した記事が掲載されていますが、翌年にICASサービス自体が廃止となってVENUS-Pへ統合されていることから、既に業界ではこの手の情報が出回っていた可能性が高いと考えています。

実際、昭和58年(1983)に再び認定規則が改正されて、「国際コンピュータ・アクセス種」は消滅しました。(昭和57年7月12日 、KDD公告第53号)

資格が存在したのはわずか1年間。しかも受験して取得した人数はゼロという幻の工担資格であったのです。強いて言えば、残った2種類の資格も3年間しか存在していません。郵政省の新資格に移行することになったからです。

以上が公衆法時代最後の資格制度改正となります。次は通信自由化、電気通信事業法として工担変遷を紹介予定です。

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