工事担任者資格の歴史 その1
戦前~敗戦直後編

目次 4章-5章 (電電公社編)
6章-7章 (データ通信編)
8章-9章 (郵政省編)

1. はじめに

ネットワーク接続技術の資格として認知されることの多い「工事担任者」は、昭和60年(1985)から制度化された総務省の国家資格です。

取得者数は延べ80万人を超え、近年でも年間3万人が受験することから、各種資格の中でも人気のある位置にいると言えるでしょう。

しかしながら、「工事担任者」という名称は何の工事なのかさっぱり分からないと評判でもあって、しかも何をする資格なのかも現実問題として曖昧な部分が多いように思えます。試験代行機関である日本データ通信協会が「電気通信の工事担任者」と法律に無い名前に頼っている現状は少し悲しい部分も。

2019年になり、工事担任者制度の改正具体案が検討されて情報が出始めたことを契機に、なぜ工事担任者は工事担任者なのか、そしてどのように現行制度へ辿り着いたのかという歴史を調査して少しまとめてみました。

Web上にはどこにもなかった過去の工事担任者の歴史です。ちょっと不思議な資格の来歴をご紹介します。

2. 実は「工事担当者」だった過去の歴史

通信端末をネットワークに接続するための資格「工事担任者」は、様々な文章や記事で「工事担者」と間違われることが多いものです。

しかしながら、かつては本当に「工事担当者」だった時代がありました。このページでは、そんな戦前・戦中の工担制度について紹介していきます。

最初の工事担任者

最初に工担という名前が世に現れたのは大正8年(1919)のこと。当時、電話を管轄していた逓信省(現総務省)が公布した「電話規則」の改正時に出現しました。

大正8年4月1日 逓信省令8号
第三十八条
 第三十一条に依り増設電話機の設備及維持を為す加入者は電話官署の指示する所に依り其の設備の状況、維持に関する工事の種類、其の施工度数、工事担当者の氏名等を記録し置くべし。

旧字では「工事擔當者」と言う表記になります。

電話規則(大正8年4月1日)逓信省令8号

大正8年 逓信省令第8号 電話規則改正時

電話規則とは、電信法に基づいた電話加入や設備に関する詳細規定です。このとき、電話機増設申請書として「工事担当者」「工事従事者」というものが現れたのが最初の例となります。

大正8年4月1日 逓信省令8号
第四号書式(電話機増設申請書)
記 十二
工事担当者(第三十一条第一項の場合に於て其の工事を担当する者直接工事に従事する者の住所、氏名、年齢、該工事に必要なる智識及技能を疏明し得べき履歴、申請者との関係)
電話規則(大正8年4月1日)逓信省令8号 第4号書式

大正8年 逓信省令第8号 第4号書式(抜粋)

ここに出てくる「工事担当者」とは工事監督の意味です。現代であれば現場代理人や施工管理技士といったものに近いでしょう。

一方、現場の作業者は「直接工事従事者」と呼ばれました。

このとき、「話第200号通牒」という通達が出されており、現代的な仮名遣いと現行字体に直して抜粋しておきます。

話第二百号通牒 第二ノ(三)
 増設電話機の設備及び維持
六 在来に於ける私設電話の工事の請負を為したる者の中には一定の知識技能等を有せず単に収益多き創設のみを主として保守を重んぜざる弊少なからざりしを以て今後は左記標準に依り尚各地の実情を参酌し其の適否を決することとし細則及認定方に就ては制定改廃の都度詳細報告すること
(1) 本人又は其の使用人が其の設備及維持を完全に施行し得る程度に於て電話に関する法令に通じ且つ其の技術上の知識及び技能を有すること

要約(意訳)すれば、PBX電話工事業者の中には技術も法律知識も無い奴がいて、しかも高収益の新設工事ばかり力を入れ保守はないがしろにされてる。(おかげで電話局の交換に支障が出て大変迷惑だ!!)。だから各逓信局は地域の実情に合わせていいから業者の審査をしっかりせい。ってことです。

2.2 工事担任者の時代背景

逓信省令による工担規定は「増設電話機」に関するものなのですが、時代背景があまりにも現代と違うので説明しておきましょう。

まず最初に理解しておかなければならないのは、全て政府が電話事業を独占しているということです。電信法の規定により一般企業が電話事業を営むことは一切禁止されていて、特別な条件が無い限りは電話機の自営許可が降りません。

役所が加入申込受付から工事、運営、保守、料金徴収にいたるまで一貫して実施するのが基本です。電話機も逓信省からのレンタルという時代。例外は鉄道通信とか公益性のあるものに限られています。

PBXが可能になったのは明治35年(1902)とされ、大正期には普及が進んでいったようです。急速に普及したPBXの規律のために大正8年に規定が整備されたというところ。

次に理解しておきたいのは「増設電話機」という名称です。1加入契約で1台の電話機のみの設置が基本なのは今も昔も同じ。この頃はビルディング建築が増加していた時期でもあり、現代のように内線(2台目以後)を設置して使いたいと要望もあったのです。

そのため「甲種増設電話」と呼ばれた制度が整備されました。いわゆるPBX(Private Branch eXchange; 内線交換機)と呼ばれる設備と内線電話機のことです。乙種増設電話もありますが、これはスイッチで2台の電話機を切り替えるタイプで工担に関係するのは後の話です。

PBXは逓信省の設備ではないため「私設電話」と称される「民間で勝手に構築した電話設備」に分類されます。(現代では自営電気通信設備に分類)

通常の電話設備は全て役所と公務員が工事するので資格が不要。あくまで民間の内線電話設備(私設電話)があって、それを公的な電話ネットワークに外線接続するがゆえに工担という制度が生まれたのです。

2.3 資格認定の明示

工事担当者時代、特に初期の認定制度については不詳な点が多いです。どうやら認定といったものは本省ではなく、各逓信局(現在の総合通信局)の内規で実施する案件だったようで、まとまった資料が見つかりません。地方ごとで制度がやや異なるようです。

例えば、九州逓信局の昭和3年の内規によると学歴や経歴で認定を行っていた様子。級別ではなく単に工事担当者と従事者が規定されるのみ。

東京逓信局の昭和10年前後とされる内規によれば、学歴、経歴以外にも検定試験も規定されてました。(請負業者、工事担当者、工事従事者の認定内規。)

○東京逓信局 認定規定(昭和10年前後)
  1. 第六条
    1. 工事担当者は左の各号の一に該当し相当と認めたるものなること
      1.  高等工業学校又は之と同等以上の学校に於て電気工学を専修卒業したるものにして実務に相当経験あるもの
      2.  元東京郵便電信学校技術科、元通信官吏練習所技術科及逓信官吏練習所技術科を卒業したるものにして実務に相当経験あるもの
      3.  東京逓信局検定試験に合格したるもの、之が受験資格は別に之を定む
※上記は第1級の工担規定抜粋であり、2~3級の工担と1種~3種の工事従事者は記載省略している。1種従事者=2級工担、2種従事者=3級工担相当で、3種は尋常小学校卒の満16歳以上となっています。

上記の規定群は行政通達に過ぎませんが、法令中に「認定」といった文字が現れたのは、戦時色が濃くなってきた時期、昭和12年(1937)からです。

昭和12年10月1日 逓信省令第73号
○電話規則(改正)
  1. 第四十条
    1. 加入申込者又は加入者は所轄逓信局長の資格認定を得たる者に非ざれば甲種増設電話機の交換取扱又は第二十七条第一項但書の規定に依る設備及維持に従事せしむることを得ず
電話規則(昭和12年10月1日)逓信省令73号

昭和12年 逓信省令73号 電話規則改正時

昭和15年(1940)時点の東京都市逓信局の認定規則によれば、試験制度が相当に整備されて3階級 計6種類の資格認定・検定制度が施行されていたことが分かります。

資格認定は、工事自営者、工事請負者、工事担当者及び工事従事者と細分化されていて、自営者・請負者が法人認定、工担と従事者が個人認定となっています。

工担は『工事の主任者たるべき者』と明確に定義され、従事者は『電話の設備維持に従事する者』とされました。工事担当者が従事者を兼任してもよい制度となっています。

○電話私設工事従事者資格認定手続
東京都市逓信局(昭和15年4月1日施行)
一級
自働式、共電式及磁石式交換機並転換器使用の増設又は接続電話の設備及維持工事
二級
共電式及磁石式交換機転換器使用の増設又は接続電話の設備及維持工事
三級
磁石式交換機及転換器使用の増設又は接続電話の設備及維持工事

東京都市逓信局における工担の認定は、従事者の認定を準用(使いまわし)しており、いずれも三階級の制度で施工・保守範囲とも共通となっています。

当時の試験問題を見ると法規も技術も回路図も意味が汲み取れないものが多く、工担技術の移り変わりが実感できます。

工事担当者という名前は当時でも微妙だった節があり、日刊工業新聞(1940-08-11付)の記事とされる資料には、電話工事担当者とか電話工事主任技術者という名称も現れています。

ここで少し解説を入れますが、工担の3階級は技術的難易度が高い順序に自働式、共電式、磁石式に分かれているという意味です。現代のPBXは「自働式」に相当するでしょうが、当時は、共電式、磁石式という手動交換が必要なタイプのものが主流を占めていました。

最古参の磁石式は、電話交換手を呼び出すのにハンドルをグルグル回すタイプ。後継機種の共電式は電話局側から常時給電されていて、オフフックのみで交換手を呼び出せるタイプです。新鋭の自働式は昭和で全国に普及したダイヤル式のこと。

ちなみにこの昭和15年(1940)というのは「電気通信技術者」資格が創設されて、通信系の民間企業(KDDの前身である国際電気通信株式会社や旧NHK等)の主任技術者に対して有資格者の配置が義務付けられた年だったりします。電気通信技術者は通技とか通検と略されて昔の記事に出てくるものですが、戦後は無線部分だけが生き残り電波法上の無線技術士に移行します。

ややこしいことに、逓信省では電気事業主任技術者(のちの電験)の付与も行っていた時期であって逓信省の資格好きが見て取れます(当時は電験ではなく逓試と呼ばれていた。)。ただ、戦時中に電力分野を軍需省に奪われて以後、戦後も商工省→通産省→経産省と監督官庁が維持されてしまったせいで、今は経産省資格というイメージしかないです。

前述の東京都市逓信局の工担認定規則では、第1級銓衡(選考)の基準として電気事業主任技術者2種以上、電気通信技術者2級以上が掲げられています。現代のイメージならば電験2種や電通主任を持っているのに相当。

3. 戦中から戦後にかけての工担

昭和16年(1941)末に開戦した太平洋戦争によって、電話工事を取り巻く環境は一変します。この頃の資料もまばらで、あまり情報が集まらないのですが、少なくとも工担のあり方に著しい変化が生じたことだけはハッキリしてます。

3.1 国策会社への統合

太平洋戦争中の昭和18年(1943)12月。全国のPBX工事業者が戦時体制に組み込まれました。日本電話設備株式会社が設立されて、308社あったPBX会社が半ば強制的に合併させられたのです。

当時存在した企業整備令といった強制力のある法律に基づいたものではなく、あくまで自主的に戦争完遂のために結集したことにされました。もちろん逓信省主導なんですけどね。

元々、通信建設業は昭和13年(1937)に日本電信電話工事株式会社という国策的な「民間企業」が逓信省の工事をほぼ独占受注するという下地があったことも背景にありそうです。(これも実質的な強制合併だが、自由経済原則の建前は厳守されて注意深く実施された。)

PBXは私設電話であり、あくまで民営が基本であった訳ですが、戦局が悪化すると共にPBXの工事や維持が困難となってきました。通信用機材はもちろん人材も払底しているのです。

そのような状況に加えて、電話設備運営の一元化を狙う逓信省の意向があり、主要なPBX会社幹部が逓信省に説得され、合併によって出来上がったのが「電設会社」こと日本電話設備(株)でした。やむを得ず合併させられたとは当事者の弁。

これより少し前に設立された「船舶無線電信電話(株)」も似たような経過を辿っていますし、同じく逓信省管轄だった電力会社も9社に大統合されていました。統制合併が著しい時代だったのです。

法律面でも強力なサポートがあり、PBX関連業務は電設会社のみが実施できるように逓信省令(電話規則)も改正。PBXは1社独占体制に移行したのです。(昭和18年12月27日 運輸通信省令第30号,31号 通信院告示第99号)

同時に監督たる「工事担当者」という名称は事実上消滅しているようです。昭和12年時点で電話規則本文から削除されていたものの、電話機増設申請書には「工事担当者」の記載欄がありました。

それがこの時点で「工事従事者」に改称統一されています。

通信院告示第98号第99号(昭和18年12月27日)

昭和18年12月27日 通信院告示

逓信省の設立要綱によれば、「政府は会社に対し工事担当者としての資格認定を為し事実上独占的地位を附与する如く措置するものとす」とあり、かなりダイレクトな言い方も。法人を工担とみなして、技術者認定は工事従事者のみにした感じですね。

戦時の電話、特にPBX・内線電話機は不要不急とされた上で防衛通信用に回収・転用促進されまくり。(昭和20年3月19日閣議決定「電話設備ノ緊急動員ニ関スル件」)。当然ながら戦災による滅失もありますのでPBX電話機数が極端に減少したと資料にはあります。(55万台→16万台)

3.2 独占体制の解散とPBX国営化

戦後もPBX関連の工事・維持は日本電話設備が独占的に事業を実施していたものの、昭和22年(1947)3月にGHQの指示(SCAPIN-1580)があり、同社の運命が決まります。

この覚書は日本の通信政策に決定的な影響を与えた文書として知られていて、国際電気通信(株)と日本電信電話工事(株)を国有化し通信の官営一元化方針を打ち出したものです。

この文書は日本電話設備(株)に関する方針にも触れていて、3年から5年以内に政府引き受けを実施せよとのお達しが別紙で示されていました。

連合軍最高司令官覚書(昭和22年3月25日)

1947-03-25 連合軍最高司令官覚書(抜粋)

(1)現在、日本電話設備株式会社が所有し又は運用し、若しくは所有かつ運用する電話及び電信に関係する全ての通信施設を大日本帝国政府において所有及び運用を引き受ける計画(を60日以内に連合国最高司令部へ提出せよ。)

このメモランダムによって日本電話設備会社が独占していたPBX事業は昭和25年(1950)に人員、業務ともに政府(電気通信省)へ引き継がれました。別の覚書によって政府組織も郵政省と電気通信省に分離した頃です。(郵電分離)

この頃、PBX事業自由化の動きが活発になったことが私設電話史に記されています。ところがGHQ CCS(民間通信局)の意向はあくまで国営一本化であって、昭和23年(1948)には電話規則もその方針に基づいて改正されてしまいました。

日本電話設備会社のPBX事業と1,700名の人員は段階的に電気通信省へ移管され公務員化、昭和25年(1950)5月をもって、PBXを含めた全ての通信設備は国営化されました。加えて工事担当者、工事従事者制度がその法的根拠を全て失うことになるのです。

ただし、昭和25年7月以後、例外的なPBX設備に対して第1種~第3種の資格認定を行っていた形跡はあります。また、PBX工事業自体は下請けの指名業者として存続しており、工担と従事者の試験が行われていました。

しかしながらこれらは通達レベルの話であって法的根拠は一切無いと後に解釈されています。そして、後に工事担任者制度が復活する際に一騒動起こす火種にもなるのでした。

国営一元化になった電気通信省自体も、サンフランシスコ講和会議で平和条約が発効した直後の昭和27年(1952)8月に、日本電信電話公社として生まれ変わることになります。

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