昭和60年(1985)、電電公社とKDD(とデ協)が認定試験を行っていた工事担任者制度は大きな変革を迎えます。
この章では、通信自由化に伴う「国家資格化」の様子をご紹介します。
※工担は法律に基づいた資格試験であって、公衆法時代であっても歴とした「国家試験」です。国家資格化は発給主体が政府であるという意味になります。
第3次回線開放、電電民営化、通信自由化。いろいろな言い方はありますが、いずれにせよ昭和60年(1985)4月1日という日は日本の通信政策が大転換を迎えた日として記憶されています。
本邦初となる通信自由化では、自営で通信網を構築してきた企業からの参入が相次ぎました。(日本テレコムは国鉄、テレウェイは道路公団、地域系は電力会社が母体となっている。例外は京セラ系の第二電電ぐらい。)
そして、このとき、工事担任者についても事業法に明記されることになります。
(工事担任者による工事の実施及び監督)
第五十三条(工事担任者資格者証)
第五十四条従来は、民間工事のPBXやデータ通信用端末を接続する際に必要だった「工事担任者」は、法律上、全ての端末の接続に必要な資格へと生まれ変わりました。
このへん、あまり議論された形跡がないのが謎。法律上の名称もせっかく変更のチャンスだったのにスルーされて工事担任者のまま据え置き。
電気通信事業法の関連命令「工事担任者規則」が郵政省令として公布され、電電公社/KDDのサービスに応じた種別であったものが、「アナログ種」と「デジタル種」という2大カテゴリ、計5資格に再編されます。
アナログ伝送路設備(アナログ信号を入出力とする電気通信回線設備をいう。以下同じ。)に端末設備等を接続するための工事
アナログ伝送路設備に端末設備等を接続するための工事(端末設備等に収容される電気通信回線の数が五十以下であつて内線の数が二百以下のものに限る。)
アナログ伝送路設備に端末設備等を接続するための工事(端末設備等に収容される電気通信回線の数が一のものに限る。)
デジタル伝送路設備(デジタル信号を入出力とする電気通信回線設備をいう。以下同じ。)に端末設備等を接続するための工事並びにアナログ第三種の工事の範囲に属する工事
デジタル伝送路設備(回線交換方式によるものに限る。)に端末接続等を接続するための工事並びにアナログ第三種の工事の範囲に属する工事
アナログ系は大規模PBX用の1種、中小規模PBXの2種、一般家庭用の3種に分類されました。純粋に加入回線数での分類。
一方のデジタル系は、上位資格でパケット交換が扱える1種、下位資格で回線交換しか扱えない2種という区分です。
重要な変更点として認定を実施していたNTT/KDD自身の工事にも資格が必要となったことが挙げられるでしょう。端的に言うならば「アナログ3種」という家庭用1回線の接続に必要な資格が創設されたことにその意義が見て取れます。
大正から昭和に至るまで「民間の特殊な電話設備」を「政府/公社の電話交換機」に接続する目的であった工担資格は、「全ての端末」を対象とする資格になった訳です。意味合いが相当に変わりました。
電話機が家電店に並ぶことになったのもこの時点からです。通信端末は技適認証さえあれば自由な取り付けができるようになりました。事業法ができるまでは「本電話機」と呼ばれる1台目の端末に選択の余地が無かったのですが、これも廃止されます。
そして有効期限がなくなったのが公衆法との大きな違いではないかと思います(従来は未就業3年間で失効)。終身有効資格となりました。当時の資料には就業届・離業届が不要になったというQ&Aが掲載されたりします。
新試験は直接国が行う形式ではなく、(財)日本データ通信協会が代行機関に指定されました。法施行直後の4月15日から試験事務を開始しています(昭和60年4月8日 郵政省告示250号)。
6月18日に第1回試験の公示があり、7/16-25で申請受付、9/上~11/上に試験実施というかなりユルイ試験公示の仕方。
受験申請料は4,100円となりました。今の8,700円の約半額です。旧工担では2,000円(昭和56年以後)ですから、当時でも結構な値上げ。
従来はKDDの国際工担試験を実施していた協会でしたが、多い年でも500名程度の受験者がしかさばいていません。それが、いきなり15万人を超える受験者を処理することになりました。凄まじいものですね。どこまで予想していたのでしょうか。
最初の試験は全国11会場で実施されました。郵政省の総合通信局所在地のみです。ですので、例えば福岡会場とか新潟会場はまだありません。
なお、試験形式は筆記(多肢選択)で現在と変わりません。電通主任が記述式だったのと対照的です。今と違うのは問題用紙の持ち帰りが出来ないことです。(後述します。)
新制度の移行措置として、半年間は旧工事担任者資格が有効とされ、その間に地方電気通信監理局へ申請することで大臣認定による新資格取得が可能でした。デ協と電波振興会(現:情報通信振興会)で書類頒布と当時の記事にはあります。
旧資格 | 補足 | 新資格 |
---|---|---|
第一種 | PBX(自動交換) | アナログ一種 |
第二種 | PBX(手動交換) | アナログ二種 |
第三種 | 組合電話 | |
第四種 | データ通信 | |
パケツト交換種 | DDX-P | デジタル一種 |
国際公衆データ伝送種 | VENUS-P | |
回線交換種 | DDX-C | デジタル二種 |
国際電信種 | 国際テレックス |
この資格移行措置に、往時の工事担任者に関する考え方が現れているようで興味深いのです。
端末の伝送形式がアナログとデジタルと分類された影響で、第1種~第3種までのアナログ電話はわかり易い移行。第4種はデータ通信用ですがアナログ伝送路なのでアナログ種になったことが見てとれます。
アナログとデジタルというのは、あくまで加入者回線上の符号形式であるという意味ですね。中身がデータ通信であろうがなんだろうがアナログ信号が流れるのであれば、それで良い、と。伝送路符号形式がON/OFFならばデジタルという解釈のようです。
回線交換種、パケット交換種はDDX網なのでデジタル種になります。後は、交換方式に応じて、パケット用と回線交換用に分かれているだけです。
多少気になるのは国際電信種。TELEX用なはずでアナログで無いことは確か。回線交換なのは明白。ゆえにデジタル(回線交換)というカテゴリに当てはめたのでしょう。とは言いつつも、デジタルなのかというと妙にモヤってしまう何かは残ってるのですが・・・。
平成7年(1995)、新たに「アナログ・デジタル総合種」が創設されました。規制緩和の一環とされています。
アナログ伝送路設備又はデジタル伝送路設備に端末設備等を接続するための工事
通信白書によれば、平成6年(1994)7月の閣議決定「今後における規制緩和の推進等について」を元に『アナログ種とデジタル種の両方の資格を必要とする工事への対応を容易にするため、新たに「アナログ・デジタル総合種」資格を設けることとした。』とあります。
元より、デジタル種を有していればアナ3はオマケで付いているのですが、それではカバーできないISDN(1.5M)/アナログPBXあたりの工事が増えてきたのだと思います。
制度上は、単純に「アナログ1種+デジタル1種」に過ぎず、それゆえ取得方法も多彩。2資格持っていれば申請で1枚にできるというのが資格の方向性なんですね。
現在と違うのは申請先ぐらいでしょうか。今は条件が揃った時点で総通に直接申請可能ですが、当時はデータ通信協会経由での申請のみでした。(平成14年以後から現在の方法に変更。)
なお、令和元年時点でも本資格は有効で、現行AI・DD総合種とは異なる資格と扱われているものの、工事範囲は変わりありません。まだまだ重宝される資格としてなお存在感を放っています。
試験・資格制度上はあまり見えない部分ですが、平成7年(1995)を境にして問題の取り扱いと試験日に大きな変更があるので紹介しておきます。
昭和60年から各回10万人を超える受験者がいて、1日での試験開催は不可能な状況でした。デ協では東日暮里のビルを借り切って試験を実施していたようですが、それでも複数日にわたって試験日程が組まれる状態。
受験者数が多い→複数日程→問題用紙の持ち帰り禁止という流れです。一方、電通主任は最初から持ち帰りが可能であって工担とは対照的。
試験日が統一実施になったのは平成7年度第1回(1995-09-24)から。ちょうど総合種の試験が始まった試験回でもあり、各回6万人台に受験者が減った時期です。(減ったとか云うけれど、2018年前後の1.5~2万人台と比べれば隔世の感が・・・。)
これを機に過去試験問題の公開も始まります(※ Webではなく協会事務所での公開。)1995年を境目に工担参考書籍の増加傾向が国会図書館データから見えてくるのですが、問題用紙の持ち帰りと過去問の公開が書籍増加に貢献していると思います。(年2~7冊ペースから、12冊~22冊ペースになった)
工担の試験は、かつて3月と9月の2回開催が定例でした。それも平成6年(1994)まではもう少し幅をもった期間内での実施です。例えば平成4年度第2回試験の場合、3月11日から4月12日までの日曜日に開催といったやり方です。年度跨ぐこともあるんですね。
平成7年から、9月の最終日曜日と3月の第3日曜日が規定路線になったようです。
この後のデータを見ていると気付く事ができるのですが、平成9年度(1997)試験が1回しか行われず、しかもこれ以後5月/11月に試験日程が変更されていたことが分かります。
同時に電気通信主任技術者も日程変更がありました。5月/11月の実施が恒例化していた主任技術者試験は工担に日程を譲ります。以後、7月/1月の試験日が定着することに。
年2回の試験を1回に減らすというのは相当に面倒なことであって、デ協だけではなく郵政省からも告示が出て科目合格延長をしたりとオオゴトなのです。
そうまでして日程変更をしなければならなかったきっかけは、平成8年の台風21号であるようです。平成8年度第1回試験(1996-09-29)では、台風の接近により沖縄の試験実施が困難な状況。結果として400名超の受験者に延期日程(11月4日)が組まれました。
デ協がもう1回台風の直撃を食らったのは平成16年度第1回の電通主任試験(沖縄)ですが、こちらも台風21号なんですね。縁があるようです。
いずれも試験自体は中止されておらず、辿り着いた猛者は受験できて平成8年試験では92名が受験、455名は延期対象となったとデ協資料にはあります。
平成10年(1998)、新たに「デジタル第三種」が創設されました。
これも総合種と同様、規制緩和の一環とされていて、平成11年度から試験実施予定であったものの平成10年度第2回(1998-11-15)から前倒して開始されたと担当官僚のデ協寄稿記事に掲載されています。
デジタル伝送路設備(回線交換方式によるものに限る。)に端末接続等を接続するための工事並びにデジタル第三種の工事の範囲に属する工事
デジタル伝送路設備に端末接続を接続するための工事(接続点におけるデジタル信号の入出力速度が毎秒百九十二キロビット以下のものであつて端末設備に収容される電気通信回線の数が一のものに限る。)並びにアナログ第三種の工事の範囲に属する工事
目的はこの頃急速な普及を見せていた家庭用ISDNの工事に対応することです。工事範囲の192kbpsというのはISDN基本インタフェース(S/T点)の速度。当時としては高速な回線でした。
1年ごとに加入者数が倍増していた時期で、平成7年度末に51万加入だったものが、平成13年に1,023万加入に達するという激増っぷり。
従来の資格制度上、ISDN回線はパケット交換とみなされていてデジタル1種か総合種でなければ工事ができません。新技術と捉えられていたISDNとはいえ、家庭用1回線にデジ1は必要ないだろうという判断のもと、デジ3資格が作られたのです。
ISDN普及用簡易資格という位置付けのほか、3種という易しい資格で学生をターゲットにしていた節も感じられる次第。実際、低下傾向にあった受験者数がしばらく息を吹き返します。
デジタル3種の創設に伴い、デジタル2種は3種の上位資格と位置づけられます。とはいえ、既に意義を失いかけていたデジ2の不人気がさらに加速。「回線交換に限るデジタル回線」という、DDX-Cとテレックス以外に使い道のなさそうな資格は、趣味的な受験者しかいなくなるのでした。
デジタル種の申請者数推移(1985–2005)
上の図を見てもらえば一目瞭然。デジ2は最初から超不人気資格なのです。デジタル受験者総数の5%以下。しかも旧資格からの引継ぎもほとんど無い事が確認できており、制度トータルでも取得者が1万人に到達しませんでした。
もっと言ってしまうと、デジ2のルーツとなった旧回線交換種自体、昭和56年から昭和59年までの4年間で100名程度しか試験取得していないことが判明しているので、最初から要らなかったのでは疑惑のある資格だと思います。
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